ここ、松島の独り言へわざわざお越し賜り、深甚なる感謝を捧げます。

(FIRST UP LOAD 2001-9/15、2011/8月14日→改訂)

あなたは人目のお客様です


8月14日

福島原発 考4(許容放射線量?)

・2次被爆(黒い雨/入市被爆)その後の土地や水そして人の内部汚染量は66年経ても判っていない
・先日の広島長崎の原爆のドキュメンタリーテレビ放送でも驚いたことに、1次被爆者の治療は殆ど、ほって置かれ、原爆の軍事的破壊の効果の情報データのモルモットとし米国に媚びて情報を売った日本の科学者たち
・従って広島長崎のデータにより被爆線量許容値があると思っていたら、無いに等しく、国際値に頼らざるを得ないのだと判ってきたのです。
・これらの原爆の被爆の時間経過から大雑把にいうと直接被爆や2次被爆以外の例えば内部被爆のようなデータは無くまた60年以上経過すると無に等しくなるのでは?が現実でしょう。
原爆投下後10年20年は被爆の影響の云々が云われていたような気がしますが、60年以上たった今では、全く残留被爆についていわれていないことがその証でしょうか?。

8月14日

福島原発 考3(地震に対して)

 これについては多少建築を齧って地震について少しは言える私としては、日本国中どこも危険であり、また耐震という技術、理論で安全な方法は無い、と残念ながら云わざるを得ないのがホントのところです。結論としては原発の安全な立地場所は日本には無いと言える。

8月9日

福島原発 考2(維持管理のための年数は?)

 放射性廃棄物の量はどうあれ、無害になるまでの期間は、種類別には色々あるが、テレビによると約10万年位掛かる様です。この年数はメンテがどうとかいう年数にならないでしょう。精々、セシウムとストロンチュウムの60年〜100年くらいが人間が関与出来る期間であり人間的スケール時間でしょう。

8月6日

福島原発 考1(原爆と原発の記憶)

 確か、小5の時だと思いますが、東京の晴海の「原子力の平和利用展」という催しに、父に連れられて行き、そこでマジックハンドという機械に触れた事の記憶が僅かにあります。後は、横須賀の線路下のトンネルに長崎の原爆の恐ろしげなポスターが貼られていた記憶です。確か長崎の永井 隆博士の「この子を残して」という本か映画か演劇かのポスターです。米国の占領軍の兵隊が、我が物顔に闊歩する横須賀の街で!
・最近では東野圭吾の「天空の蜂」と夏見正隆の「戦闘機F-15シリーズもの」に日本海沿岸の原発の仮想敵国あるいはテロからの爆撃の危機が語られているストリーである。
・1954年のビキニ環礁の水爆実験による第5福竜丸被爆事件とその後の中国の核実験による死の灰汚染等々であります。 

8月4日

発病以来2年目です

 今日、8月4日は発病以来2年目になります。

7月24日〜31日

ミンミン蝉、ニイニイ蝉も

 ようやく、蝉の代表のミンミン蝉、ニイニイ蝉の鳴き声が聞こえてきました。

7月15日

ひぐらしの初なき

 今年は蝉の鳴き声が聞かれませんが、やっと、蜩がまっ先に鳴き出しました。

7月11日

またもや「コピ・ルアーク」

 またインドネシアからの帰国のハツ殿が例の「コピ・ルアーク」をお土産にくれました。

7月7日

扇が谷の夏祭り

 家人によると扇が谷の夏祭りが今年は復活するそうです。マッサージをお願いしている宮田先生に話したら「お祭りを止めてからお年寄りが亡くなる方が多くなって止めるべきでなかった」といわれ、止める直前の祭りは、家人達が、最後という事で、母親主体で祭りを仕切ったので、私も何かとできる事でと、我が家の池のザリガニをたらいに容れ、屋台の前の広場で子供達に釣りをさせたりしました。お祭りはやはりコミュニティ(私には好きな言葉では無かったのですが)には必須のアイテムでしょう。

6月23日

再びの釣行

 去年の5月に病後、初めて釣りに行きましたが、今年もまたハツが誘ってくれて、同じ三戸浜でイワシをやろうと云う事で出かけました。結構、風が強かったのですが、ひこいわしやひいらぎのような子アジ、そして海たなごまで釣れて、案外の大漁でしたが、やはり餌付けも彼におんぶで、今回は車椅子を持ち込まなかったのですぐ疲れてしまい釣果の殆どはハツの釣ったモノです。またネコもいてそれなりに楽しかったです。
 写真は初めての登場ですが、そのハツ殿です。

6月12日

マサ オフグりッド

 

もう一人の古くからの友人ですが、カナダに永住しているタケの次男坊のマサ君が(仲々気持ちのよい好青年ですが日本語がさっぱり通じないのが、この爺にはつまらんのですが)、バンクーバー島より北の方の島で丸太小屋を自分で建てて電気のない生活を一人で送っているようで、その様子を「YouTube」に動画掲載していますので紹介します。

平成23年5月12日

とんでもなーーい お土産

 また、例のハツの話になりますが(何しろ私は行動半径が狭くなり、話題にも乏しいので)、出張先のインドネシアから それはとんでもない、お土産を貰いました。コーヒー豆ですが、前にもインドネシアからマンデリンを貰いましたが、彼ほどはコーヒーに熱をいれていないので、お土産の豆が溜まっているのが現状です。
 今回は忙しいらしく、すぐにお土産と文庫本の包みを置いて帰ってしまいましたが、そのコーヒー豆にWikipediaのメモが添付されており、読んでみるとこれが大変で、何と麝香ネコの糞から取り出したモノのようで、「コピ・ルアーク」と呼ばれ、世界で最も高価で、希少なコーヒーのようです。豆を引くのに、まさかコーヒー屋さんには心情的に頼むわけにもいかず、ようやく飲めたのが6月になってからでしたが、中々風味が深くて?おいしかったですヨ。!
 映画「カモメ食堂」でも、ちょっと話題になったコーヒーだと思います。ハツは時々そういうエスプリが効いたと云うか、ちょっとひねったことが好みのようなのです。

平成23年5月11日

耐震壁のアンカー打鍵検査

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 今日は、我が社のビルの耐震壁増設のためアンカー打鍵検査を実施しました。上向きのアンカーは脚立に乗りやっとの思いです。耐震補強は一応済んでいるのですが、3月の大地震を経て、より安全の余力を持ちたいと考えて耐震壁の増設を図ったのです。6月からすっかり安心出来るわけです。
 現場は今までよく行っていたのですが、自分の写真が無い事に気が付き、初めて所員に撮ってもらいました。

平成23年5月4日

「命二つ」

 また、インドネシアに出張しているハツに、福島原発の情報を仕入れようと週刊誌を買い込んだら、週刊ポストに仲々良い話が載っていたので、紹介したいと思います。
 「命二つ」 立教新座高校入学式式辞です。「命二つ」とは野ざらし紀行に収録されている芭蕉の句です。「命二つ中に活きたる桜かな」、前書きに「水口にて二十年を経て故人にあふ」とあります。故人とは古い友達のことで、そして遠い私の母方の先祖の服部土芳(平成14年12月19日の日誌参照)のことのようです。
 この「命二つ」の話は、ぼきゃ貧の私にとっても感銘すべきモノで、子供達や子孫への心に、伝えるべき一句になりました。
 ハツへの福島原発の情報は、帰国してから追々伝えましょう。

平成23年5月2日

スピンドル社と尼ケ崎事故(その2)

 もう何年前になるのでしょうか? 朝起きがけにテレビを見ていると、大きな鉄道事故のニュースです。現場の実況も中継し、事故の直後の様です。尼ケ崎と聞いて、昔、手伝った尼ケ崎総合文化センターを思い出しました。「ビル風」の分析でです。そして、不思議な事に、近くにスピンドル社の工場があったはずと思ったのです。でも仕事で一度も一緒した事は無く、でも中継を見ていると、工場の人が何人も壊れた電車の車体の上に乗り、大きなスパナのような道具を持って救助作業をしているのが、妙に眼に焼き付きました。
 その後も何でスピンドル社なのか考えても判りません。ただ、その頃、文部省の「学びピア」をボランティアで手伝っておりましたので学校に関する備品、建築材料メーカーが参加している中にスピンドル社の学校木製間仕切りも陳列参加しており、立場上、御苦労様と声を懸けた事はありますが、前に云った通り、過去に一度も、一緒に仕事をした事が無いので、不思議です。
 数年経って、丁度 横浜の学校のリニューアル工事があり、また偶々、教室の出入口で使っていましたので、私のその話を現場に、させたところ、正にその通りであったので、是非、社長にお目に掛かりたいということになった訳です。

平成23年4月29日

かえるの声

 4月の中ごろから、ようやく雨の降る気候になってきたようで、今年は全然カエルの声を聞いていないと思っていましたら、連日連夜にカエルのケロ,ケロの合唱です。

平成23年4月26日

スピンドル社と尼ケ崎事故

こう書くと、あの問題のJR西日本が引き起こした重大事故と、スピンドル社が一蓮托生のように聞こえますが、全く逆で、事故現場にあったスピンドル社の工場の人たちが、その際、献身的に乗客達を救助したのです。それが多分、私だけが、テレビの中継画面から咄嗟に判り、「スピンドル社はえらいのです」。それが何となく伝わり、この横浜の小さな設計事務所を、兵庫から、スピンドル社の社長がわざわざ訪ねてもくれたのです。ですから「スピンドルはえらい!!」と言ったのです。( ←今日の二ユースから)

平成23年4月22日

安易に「想定外」
と言わないでくれ!

 特に、ある分野のトップリーダーとしての立場の方々(政治家、学者、技術者、教育者、ある分野の専門家etc.)は物事の結果に対して、安易に「想定外」とか「予想外」とか言わないでくれ。日頃から人々を引っ張っていかざるを得ない立場であるから、死んでも、口に出すべきではない。
 それよりも、もっと将来の姿を、もっと積極的に示すべきであろう。その為には命を懸けるつもりで、もっともっと勉強し、適確で鋭い判断を国民に喋って欲しい。
 そもそも、そう言う責任のある立場の人なのだから!!。

平成23年4月19日

福島原発 その後

 東日本大地震大津波から1ヶ月経って疑問であった福島原発の件で私の中で判ってきたことがあります。それは原発を造る中で、ひとつも危険に対する措置のシミュレーションがされていなかったのではないかという確信です。
だから、全て想定外として、後手後手の対応にせざるをえなっかた訳でしょう。
放射線の人体への問題にしても日本は世界で唯一の被爆国で、データも沢山あるはずです。それが何も根拠も無いらしいとは驚くべきことです。全てがそうだったのではないのか?基本的にやさしく簡単に想定できることもやっていなっかったとしか思えないのです。・・・この1ヶ月の東電・保安院・原子力委員会及び政府の対応を見ていると。 ですから諸外国から隠していると思われているのでしょう。それよりもっと低俗な話しになっているにも係わらず。

平成23年4月7日

女川原発のこと

 昨晩の地震は余震であるらしいし、3/11の大震災以来の最大の余震だそうで(マグニチュード7.1震度6強)です。その御陰で原発のバックアップ電源の話がやっとマトモに正面切って出てきた。女川原発の冷却システムの商用電源3回線のうち2回線がダウンしたが、1回線は生きていたので、冷却は無事行われている云々の話です。これこそがマトモの話で納得できるモノです。どうも東北電力は良心的施設設計がされているなーと、いうのが率直な感想です。震源に一番近くても、地盤面高さは福島原発に比べて高い立地のようで、それもちゃんと考えられていた訳で津浪の被害を最小限で済んだと言う事でしょう。(2011.3.31朝日:女川原発記事)

平成23年4月 1日

横須賀線で会社へ

 密かでも無いのですが、横須賀線で会社へ行けることが私のおおいなるゴールでありましたが、今日は家人の付き添いがあったとは言え実現できました。万歳です!!。

平成23年3月19日

つくし、雪やなぎ

   うぐいすも地鳴きだけでしたが、急にするどく良い声で鳴き出しました。   

春の季節の訪れです。樹が付くと庭の土筆が大量に眼が出て、馬酔木も雪やな ぎもきれいに咲きました。

平成23年3月17日

福島第一原発その2

 私が学んだつたない知識では重要度の高い建物、災害時でも機能を維持せねばならない施設では、普通電源の確保では2回線受電をし、更に復旧までの時間を考慮した非常電源を設けることは常識でありましたが、福島第一原発ではそう言うバックアップシステムをとっていたのでしょうか?疑問です。非常電源の話ばかりで肝心の定常商用電源の復旧の話が出てこず、非常電源がダメになったのみで定常電源の復旧の話が無いのはおかしい。何故なのか?

平成23年3月15日

計画停電

 家人の話では、世間はどうやら買い占めに走っているようで、電池、パン、カップラーメンがないらしい。 石原慎太郎は、そこを「日本人の我欲」と表現している、しばし、さすがと思っが、やはり少し問題発言だろう。ここ鎌倉は第1グループで1日に2回の停電を経験した。戦後の小学校以来の経験をした。

平成23年3月15日

福島第一原発

 ここ、三晩共、日代わりのたびに同じような福島原発の危機を感じてきて、もういい加減にしてくれと思って寝たが、今朝は(3/15)もっとひどい状態だ。何でもなっかた4号炉の使用済み核燃料量が燃えているらしい(確か修理中で運転していなかったはずのもの)。何しろ東電も国の原子力安全院も見てると酷過ぎる。どうも現場にいる人数が不足しているようだ。どうも冷却水が注入出来ていないのは注入ポンプの燃料が空だったせいらしい。テレビでは無能な原子力安全院からもっと無能な東電の連中に交代したがこれがひどい。
 やはり責任者が現場を知らない、行かない、背広を着て右往左往しているだけ、さすがの民社の菅総理も怒鳴って叱ったようだが、遅すぎる。
 今の日本では大事なことや必須の事を真剣に叱るほどの人のつながりが無い。水素爆発が4炉のまで及ぶとは?どう考えてもおかしい。
 津波を起こす今回の地震は周期が長いことをハツは疑問視しているようだが、私が体験したことではそうで、津波で瓦礫になる前の建物は地震による破壊は殆ど受けていないのが、テレビの映像でも明らかでしょう。若い時に実施した振動実験でも、振幅が大きくてもゆっくりした周期では、普通の低層の建物壊れにくい特徴です。逆にに加速度がある近くで浅い地震波は壊れやすいと思うよ。(フィリピンに出張中のハツへ朝日2011.3.12尾池和夫氏談)

平成23年3月11日

東北関東大震災

  昨日は懸案の建築士の3年に一度の定期講習の日です。朝は約から夕刻まで丸一日です。例の姉葉の事件から建築士の再教育が制度化された訳です。父も望んだことですがこの歳になっての長時間の講議と試験は辛いことも確かです。疲れて朝からぼんやりと机に向かっていると、下の法から地震の揺れです、段々それが大きくなり、これはヤバいと言う感じで庭越しに見える2階の建屋は大丈夫かと見ていると凄く凄い揺れです。実は、我が家の2階は、金閣寺や銀閣のように2階部分が窄まっているので、構造的に不安があったのです。
 ようやく納まって我が家も無事でしたが、即、停電で夜9時まで、どんな大きさで震源地はどこででという情報が得られずにいたわけです。

平成23年2月17日

弊社の60周年記念の催しの様子

2011年(平成23年)元旦 あけましておめでとうございます 本年もどうぞ宜しく

10月13日

再びのタイトルを「遺言」から「独り言」へ

 何度も此の私の日誌めいた記録のタイトルを変更してきました。「松島の独り言」ー>>「松島の遺言」ーー>「松島の一期一会」ーー>また「松島の遺言」という変遷を経てきましたが、やはり大病をしてみると「遺言」というのはいかにも切実です。特に初めての方はギョとされるようで、私はそれなりにワルぶっての気持ちがあったのですが、やはり最初の「独り言」に戻ろうと思います。丁度、世間でも「twitter]が、おおはやりですので。宜しく!!

10月10日

カナダの友より松茸が届いた!

カナダの友より松茸が届きました。カナダの友とは、中学以来の同級生で、ここにも常連化しているハツとも同級です。彼は卒業してすぐに結婚、またすぐに外国にということで、今やバンクバーで大学教授として定住しています。お見舞いの感じで太い松茸が、好い香りを振りまいて届きました。彼は眼に障害が出たようで、心配していたら大分良いようで、運転もできるので新しい車も仕込んで夫婦で楽しんでいる様です。

10月8日

鎌倉学園セミナーハウス完成!!

 およそ、今年の5月に着工して今日、ほぼ完成した鉄骨造2階建てのセミナーハウスです。約100坪程の小規模ですが、法規制が非常に厳しい場所であり、既存の古い木造の合宿所の規模以下で建替えせざるを得ないことで、苦労に苦労を重ねたプロジェクトで、結局4年以上の月日が掛かりました。私が始めに担当したプロジェクトですので、現場には皆の世話になりながら10回程参る事が出来ました。

9月28日

弊社創立60周年記念の催し

 ホームページでも御案内致しておりますが、私の「独り言」でもお案内致します。

◎『横浜建築研究所 『創立60年の軌跡』 展示と歓談のご案内

◎日時:平成22年11月 9日(火) 10時〜18時

         11月10日(水) 10時〜17時

 ◎場所:山下公園前「ワークピア横浜 3階」
  〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町24-1(下記 案内地図参照)

 ◎交通:地下鉄みなとみらい線 日本大通り駅3番出口 徒歩2分
 またはJR京浜東北線 関内駅あるいは石川町駅下車 徒歩13〜15分

 ◎交通案内URL→http://www.workpia.or.jp/access/print.html

 御参加戴ける方は、平日で恐縮ですが、是非いらして下さい。
 出来ましたら下記メールで その旨お知らせ下さい。 
 私は2日間出来るだけ居ります。現場で私と苦労された方は、
 特にいらっして下さい。 → → メールを出す

9月22日

お月見

 今日は十五夜。かれこれ、2年ぶりの名月を家族で見ることが出来ました。

 左に光っているのは、多分木星でしょうか?

8月21日

お精進の日

 今日は21日ということで、我が家ではお精進の日です。何のお精進かと言いますと、小か中学の時、母が、仁之もそろそろやるかい?と聞かれたので「なにが?」ということで、どうも当家では、弘法大師の月命日の21日は、お精進と称して、朝/昼の食事は生ものを採らない習慣にしているようです。
 実は家は天台宗で、空海さんとは縁が無いのに、何故かと思っていたら、昔々、いえの跡取りが、真言宗の旅の僧侶に命を助けられたそうです。田舎にはその縁で、伊勢の方から稚児大師像が到来し、叔母らが御供養を続けていました。田舎の家を整理する時に、私が新幹線で抱いて帰ってきました。その後、大師像は、さるお寺でキチンと御供養の為、預かって戴いております。そのことを思い出したので、家人に言ってまた始めようとしたら、既に、ズーとやっていたようです。

8月19日

秋の虫の音

 ここ数年、8月15日は御盆ということもあり帰宅してすぐに一人で客間の盆提灯の明かりだけで冷や酒を飲む習慣になっていましたが、今年はその客間が病室で、盆提灯も飾れなかったのですが、季節というのはやはり正直で、いつ夏が終わるのかと思いきや、本日秋の虫(コオロギでしょうか)の地鳴きが聞こえてきて季節的にも秋らしくなりました。

8月6日

広島の原爆の日

 何時から無くなってしまったのでしょうか? 原爆の日のサイレンの音が(確かam8:15にサイレンが鳴り、日本中が黙祷したはずです。)8月6日だけでなく、9日も8月15日の終戦の日も無くなってしまったのは、何故どうしてでしょうか? 8月6日だけでも、いや長崎の9日も復活したいモノです。
 全国の市長さん、町長さん、村長さん、お願いします!   防災行政無線のインフラが活用できるのですから、やろうとすれば簡単のはずです。

7月21日

鎌倉の花火

 今日、鎌倉の花火をケーブルテレビで見て、まず地デジのせいで画像がきれい、水中花火も最後に見た中学の時よりカラフルで水面に映え、凄くきれい(その時は水中がモノトーンで明るく見えるだけ、今はキラキラが特に綺麗にカラーで映えます)、ズーッと何十年も8月10日のはずが、今日になっているのは何故?(たしか八幡宮のぼんぼり祭りと重なる年もあったはず)。いずれにしろ、50年ぶりに見る鎌倉の花火はきれいのひとことでした。最近は不景気のせいで、打ち上げの本数が半減している様です(・・・・花火はテレビに限ると思いました!?。家人から去年のその時期、私は集中治療室で明日をも知れぬ感じで、生きた心地がしなかったそうです)
 また今日、水曜日は恒例のリハビリの日でした、しかも、リハのドクターに、車を運転できるかどうか?の判断や運転免許試験場の情報等を、聞きに行った日でもあります。かれこれ発病以来1年近くなって、やはり仕事を続けるには、車の運転が不可欠と思いはじめたからです。
 去年までは花火の日には、夜の10時前に帰ることは無かったのですが、これからはおつき合いせねばならないことになりました。花火が上がる前と終わってから、正月のような街の喧噪が伝わってきています。

7月06日

瓜ガ谷のホタル

 また例の青山氏からのホタル見のお誘いです。実に有り難くて,涙ちょちょ切れそうなんですが、夜暗くなってからですので、私にとってはまだ不安がありましたので断念致し、息子にその情報を知らせたら早速、会社から自宅への帰りがけに立ち寄って、それなりに良かった様です。40数年前のホタルの話もお読み下さい。(→2001年7月7日の記事参照)。
 それと昨日は、ヒグラシの音を今年初めて聞きました、2度も!

6月27日

紫陽花のとき

 5月12日にも書きましたが、この私のブログのささやかな読者がおられるので、花の写真を載せて少しでも明るい記事にして行きたいと思います。建長寺奥の少し変わった岳紫陽花です(6月23日撮影)。
 去年、雑草が凄くて、とうとう咲かなっかった自宅の「3寸あやめ」も咲きました。

6月4日

再びの鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏と
    床屋さん

 5月5日の鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏の写真は、私が撮影したモノでなく、家人が携帯で撮ったモノで、今日ようやく自分も現地までいって撮影できましたのでここに掲載します。

その帰りにいつもの床屋さんへ車椅子で参りました。(実はとても腕の良い跡継ぎの息子さんが、若いのに私と同じ病気で、お互い励ましあっているのです)

5月17日

久しぶりの海釣り

 去年の6月22日のこのブログに掲載した「釣りとシオラレオネ」に書きましたが、中学以来の友人の青山氏が、何とホテルのベランダから釣りをしている様ですので、余りに気の毒になり、つい、今度帰国したら一緒に釣りに往く約束をした訳ですが、その後すぐに私が病気になってしまったので、その話も出ず仕舞いで、早や1年近く経ってしまった訳ですが、先週からお誘いがあり、週末かな−と思っていたら月曜の今日です。釣りの道具も大慌てで支度して、連れられて行った先は、学生の頃よく利用した三戸浜(横須賀の武山の先)です。かれこれ30年ぶりでした。そもそも最初は私が付き合うようなかたちでしたが、すっかり餌付けから、釣った魚をはずすのも、彼におんぶに、だっこでした。

    ( ↓ 入れ食い的に掛かってきた念仏鯛とそれを狙っている野良猫 ↓)

5月12日

モノ造り屋の皆んなの健康を祈って

 今日は、この遺言を見ている方から初めて、はげましのメールを頂戴致しました。その為だけではありませんが、この病気になってズうーと気になっていることを書きたいとおもいます。(特に2万3千人の応援のお言葉、ありがとうございます)
 それは私と同業であるモノ造りに携わっている方々の将来についてです。今の世の中で、ホントに真剣にモノ造りに携わっていくことは特に大変です。夏の暑い時も野外で、冬の完成間近な現場で寒風吹きすさぶ屋外で、震えながら最終決定仕様を伝えるとか、蒸し暑い地下の空間でコンクリート打ちにまた安全手摺も完全で無い地上数十メートルの塔の上で検査をするとか、毎日少なくない危険に接し、粉塵舞い上がる現場に入らざるを得ない境遇、次の現場へ急ぐために無理した車の運転、更に冷暖房が効いた事務室作業ではホワイトカラー達よりクリエイティブな事々をやっている仲間達、談合とかの世間からの誹謗中傷を受けている人たちの、健康を心配せざるを得ません。そんな環境で毎日身を置いていたら、当然寿命も総じて短いでしょう。
 そんな差別はもう沢山です。心あるモノ造り屋の皆んなの健康とその正当なる権利を守れと言いたいのです。

5月5日

鶴が岡八幡宮の大銀杏のその後

鶴が岡八幡宮の大銀杏ですが、根を移植したら、案の定(丸印と矢印)新芽が沢山出てきたようです。

4月26日

脳卒中の特効薬?

 いつも往く床屋さんで、とんでもないモノに、また出会いました。フキと卵と酒、梅で造る脳卒中の特効薬のカルテ(叉はレシピ?)です。以前私の父が脳硬塞になったのを心配された長野の今は亡き恩人の亀井三四子さまが、仁之さんが心配だからと、この特効薬のレシピを戴いたことがあったのです。30年以上前のことです。私は懐かしくて嬉しかったのですが、こういうモノがすきな家人が妙に冷淡で「インチキよ!」って言ったので、何かと思ったら、既に私に飲ませていたことが、その時、判りました。
 それでもそれを遺言の一つの情報として、ここに掲載させて頂きます。少し特殊な(塩漬けの)梅干しは三越デパートにあるようです。

4月21日

長野からの春の便り

寺沢さん ありがとう!
 思いがけず、今日、事務所から寺沢さんの春の便りを受け取りました。上のステキな繪便りと共に
お見舞いの言葉も頂戴致しました。ありがとう
早速、テンプラで、便りを戴きました。

ふっくらふわふわのフキノトウは、やはり千曲市の聖山ですか?
(平成20年4月21日のブログ参照)

4月8日

夫婦別性制度と民法

 数日程前のnhkのクローズアップ現代で夫婦別性制度について、いろいろ取り上げられていました。その是非はともかく、この類いの事は、今後思った以上に重要になると思います。日本の習慣風習の変化(つまり殆どは民法に関する事柄)をどうするか?ということです。時代の変化に合わせて、正解はホントに難しい、日本はそういう問題に常に失敗してきています。簡単に女性の自立に向けてとかの問題ではないような気がします。右翼的だとか、進歩的だとかの問題でもないはずです。民法軽んずべからずです。(未完)

4月6日

プログラミング学習

 4月4日の小田原の学校現場の事(ポカリスエット)から思い出したことがあります。昔、情報化ビル(日本初のインテリジェントスクールと言われた)にたずさわったとき、当時パソコン教室とその教育のソフトをどうするか?ということでしたが「CAI(computer asisted/aided instruction )教育ソフト」といわれ、当時は、花々しく叫ばれ、いろいろ期待がもたれたものです。これもやがて、出来る限界が判明し、教育の根幹にコンピュータが係わるのではなく、ワード/エクセルやインターネットやマルチメディアの一部を活用しつつ教育ツールとして発達してきた。これは私の若い頃に失敗したことと同様ですが、当時はコンピュータにクリエイティブな事をさせるのは不可能と言うことが、今のように当然であると判らなっかった為です。
 私のコンピュータを学んだ経験からはプログラミング学習、このプログラミング言語の文法をまず習得し、次にその言語を使って様々な課題を解決することが、最も「考える力」を養うのには最適な学習方法になると確信していました。様々なルーチン、アルゴリズムにより、答えは最終的に一つでも、解決へ至るそのプロセス、方法は、様々あることが重要という事です。例えば、円周率πを求める方法もいくつか(考えた人の数だけ)考えられて、その答えの精度、スピードは様々であるということです。その解決の方法の特許や競技さえもあるのです。更に、プログラミングは、例えば手回し計算機のように、いやそれ以上にその都度、動的な反応(レスポンス)があり、まるで、ロボットをリモコンで操っているようなダイナミックな面白さもあるのです。
 科学技術計算用プログラミング言語FORTRANを学んだのは学生の頃で、今から45年前です。その後、パソコンの出現と共にBASIC言語を自習で覚えて、自分のソフトを作成していきました。
 私も、もはや年ですので、今や標準になっているC言語の習得は無理でしてn88BASICエミュレーションソフトが奇特な方が開発されて無料で世にあるので、既に作成したソフトも含め現在はWINDOWSマシーンによってBASICで作成し、走らせています。(未了)

4月4日

ポカリスエットはエライ!

 日曜のテレビ東京「ルビコンの決断」の再放送を見ていましたら、大塚製薬のポカリスエットについて放映していました。私の世代ですからいわゆる清涼飲料の知識に乏しいし、まして国産メーカーとは思ってもいませんで、どこか外国製だと思っていましたが、 何しろポカリスエットはエライ!  それはなぜかと言うと、今から約10数年前、小田原の学校現場でいつものように型枠叩きにいそしんでいたのですが、その時は丁度盛夏でコンクリ−ト打設の下は蒸し暑く、最早午前中でへたばってしまったのです。そこで何か冷たい飲モノをと、自販機で偶然ポカリスエットを選んで飲んでみましたところ、不思議に僅か数分で疲労回復した実感がえられました。今まで何を飲んでも、すぐそのような実感が得られることは一度もなかったのですが。と言うことでO型のお節介の私ですので、現場の所長に早即、「ポカリスエットを飲んでみな!」って、命じたわけです。数日後「どうだった?」と聞くと、常になく興奮と尊敬の眼差しで「イヤー、凄く効きました」って返事です。私には良く効くスポーツ飲料です。皆さんも疲れた時には有効です。

4月1日

映画「禅」
道元禅師の生涯

 家人が最近気を使ってくれて、自宅2階の地デジのハードディスクに道元の映画が録画してあると言ってくれています。娘が1階の私の部屋にDVDプレーヤーをセットして道元の禅をレンタル屋から借りてきてくれまして、念願の映画「禅」(道元禅師の生涯)を見ることが出来ました。見たら大興奮です。 

 

有名な道元禅師の「只管打座」の碑文が刻まれた自然石の750年遠忌記念碑(本ブログ平成13年2月23日記事参照されたい)

ご依頼の先生から、なぜ鎌倉に道元禅師の碑が必要か?と言う来歴をお聞きしました。そのうろ覚えの私の記憶では、親子、兄弟同士、血を血で洗う様な鎌倉幕府成立時の闘争があり、時の権力者、執権北条時頼を憐れんで本当の仏法を教え伝えに来たのです、それも僅か半年位の期間滞在し、時頼が感謝の意味で、紫の衣を天皇から(映画は大伽藍の寺院の主に)授けようとしたのに、道元はそれをあっさり不要として断り、一人京都に帰っていったという事をお聞きしました。滞在したと思われる宿舎は、白衣舎といわれ、逗子との境いあたりではと思われておりましたが、土地を探す中では、やはり鎌倉の中心近く、しかも建長寺を意識できる場所を考えた結果、鶴が岡八幡宮そばで建長寺に通じる巨福呂坂の根元に絶好の土地を御紹介出来ました。でも映画の内容がドンピシャリの訳は実は当然で、この映画は道元禅師750年遠忌を記念するものであったようで、知らなかったのは私だけであったのです。

 映画を見て、更に驚いたことですが、公曉と道元とは浅からぬ因縁があったことと、今回の大銀杏の倒壊です。何故なら大銀杏のすぐ左手側にこの碑があるのです。因縁浅からぬモノを感じるのは私だけでしょうか? 更に勝手ですが、私にはもっと因縁があります。最明寺殿と言われていた北条時頼の相模/大井町の寺「最明寺」の客殿と収蔵庫の設計(2002年)を縁あって手掛けました。恐ろしいくらいの因縁です?。

3月20日

松島の何コレ?珍百景 (1)

今、通院している阿部脳神経外科へ往く途中の県道沿いの風景(井戸の手押しポンプがなぜか崖の途中に??)

3月10日

鶴が岡八幡宮の大銀杏

 今週は、津波で騒いだと思ったら、昼のニュースでは鶴が岡八幡宮の有名な大銀杏が根元から倒壊したニュースです。そのせいで、ヘリコプターが朝からブンブン上空を飛んで大騒ぎです。小町通りもいつになく込み合っているようです。僕の小中生の頃の知識では、確か、今の大銀杏は、実朝公暁の時のモノでなく、江戸時代に再建された銀杏だと記憶していましたが、新聞テレビの報道では、確かに千年以上の樹齢だったそうですが、一寸、私には疑問です。
 倒れた大銀杏そのものの再生を目指して、その大木を土に植えている様ですが、これには可能性があると思われます。 というのは、信州の川中島の古戦場を訪れた際に、昔、割り箸を投げたところ土に刺さった箸が根付いて銀杏になった大樹がありました。それはしかも箸を投げたので、逆さになったといういわれのモノです。
 我が家の庭にも、同様に、伐採した(のこぎりで切断した)枝の銀杏が根付いたことがありますので。可能性は高いです。
 どうやら銀杏は縄文時代が起源の、ラフで強い木のようです。
 もっと驚いたことに、その日の明け方、私の部屋の欄間絵額が何の前兆もなく床に落ちてしまったのです。後で考えるとその時刻は正に大銀杏が倒れた時に一致します。まさか倒れた衝撃ではないでしょうが、大荒れの低気圧の風のせいではありましょう。

3月8日

北鎌倉の鉢の木

 今日は東慶寺の井上ともぞう氏から境野先生の出版祝いの集まりのお誘いがありました。実は、以前にも記しましたが、圓覚寺の龍隠庵で月1回、先生の講義を戴いていたのですが、去年の8月より欠席せざるをえずにいたのです。何しろ龍隠庵は山の上にあり、しかもその階段は急で狭く、私では危険です。そこいらへんをきめ細やかな、ともぞう氏が配慮されて、北鎌倉の鉢の木新館に招待してくれたのだと思います。ですから、僕としては最終的には椅子席かどうかを確認するだけで良かったのです。北鎌倉の近所のハツも誘って、参りました。その御陰で往き帰りを、タクシーで、初めて家人や所員の付き添い無しに3、4時間、外で一人で過ごせました。
 ともぞう君、ハツ殿、いろいろ御配慮ありがとう。

3月1日

電動ベッド

 今日は少しショックなことがありました。格安で借りていた電動ベッドを取り上げられたのです。理由があるのです。私の介護度が2から1に認定されたからです。2から1へなったことはそれはそれで嬉しいのです、身体の機能が改善されてきた訳ですから。でも、敗戦直後の貧しい日本を知っている者としては、寝具を剥ぎ取られることは、頭で判っていても、ショックなことです。私が小さい頃は、日本中が皆、貧乏で、寝具を剥ぎ取られるという話は、日常会話で始終聞く話でしたから、ショックなんです。今の人はそれ程感じないでしょうが、認定の決定も2、3日前で直前でした。介護用品の店の方も、気の毒がって、型落ちで中古品の電動ベッドを手配してくれていたので、事なきを得た訳です。

3月1日

春の歳事記 

1.土筆  正に今年は3月1日に沢山芽が出たのに気付きました
2.肥後ツバキ  大きな花ですが、咲いて一日も経つともう花びらに生気がなくなります
3.馬酔木 あせびは、長持ちです。
 
今日から春ですが、春は 「春めく」 という表現がぴったりの色っぽい季節ですネ!
2月28日 また今年も池の土カエルが、か細く遠慮がちに鳴いている
3月14日は ウグイスの初鳴きを聞きました

馬酔木
ヒヨドリ
肥後ツバキ
雛人形

2月28日

50年目のチリ地震津波

 数日前の沖縄の地震津波予報の後に、50年ぶりのチリ地震津波予報でテレビが大騒ぎです。50年ぶりの津波ということで思い出したのですが、確か、中学三年生の時、田浦の長浦巷に(戦前の日本海軍の潜水艦基地に)学校があったわけで、その時、津波に遭遇したわけで、被害はなかった記憶があります。
 岸壁から海の底まで3〜4M以上あったのですが、見ている間に水位が岸壁から海の底まで、何回も変化した記憶があります。忘れていたのですが、かなり怖かった記憶があります。

2月22日

梅の花見

 先々週から近年にない寒さになっていて、雪も降り、梅のつぼみも仲々大きくならずでしたが、2、3日前から、あたたくなり、つぼみもふっくらふっくらし、気が付いたらもう何十と開花しており、目白のはずなのに今日は2羽のウグイスが梅の細枝を揺らして、花の密をついばんで可愛いモノです。
 何十年いて、今年が初めてです。こんなに毎日毎日、梅の花見など、桜の花見に匹敵する風情で、体が不自由になったことでの天からの賜物でしょうか?。

1月8日

新年挨拶と仕事始め

 今日は、古くからのクライアントである某私学へ新年挨拶と4年前からスタートしているジョブの仕事始めの打ち合わせに、担当チーフと行って参りました。これまで、当該既存の校舎の修繕、リニューアルと携わってきたものですが、やはり最小限の改修と保全だったなーと体が不自由になって感じます。打ち合わせを4階の部屋から2階へ変更してもらい、やっと階段を2階まで上がり、10数名の先生方と最終段階に近い打ち合せが出来ました。スタート当初から私が担当でしたのでスムーズに打ち合せが出来ました。
 このプロジェクトは2階建てで100坪に満たない規模の施設ですが、土地に関する法規制が厳しい場所なので、4年以上経過しています。ゼロからやり出すと規模の大小係わらず、この位の時間が正直掛かるのが、昨今の現実であります。
 当社は先代所長より営業は全くいたしませんが、唯一、新年だけは関係する方々へ伺って挨拶をする習いにしておりましたが、昨今の風潮により取り止め、民間だけにしており、更に今年からは、私の体もあり最小限に絞らざるを得なくなりました。

1月4日

松島の闘病記(その2)
(急性期)

 急性期の際のことに付いてメモを見ますと、8月4日夜発症、電車で帰宅。何故か道路の左側の垣根に肩をこする。腰が痛く、ギックリ腰の再発と思ったので、近所のカイロプラクティクへ行かなくてはと思い予約する。
 翌日、家人の勧めで救急車で病院へ行く。夕方には入院の要なく帰宅。翌日、現場にクルマを運転し向かう。(6日まで麻痺は左足のみ)7日に左手の麻痺始まる。阿部脳神経外科の院長先生の紹介を受け、タクシーで横浜栄共済病院 SCUへ入院。
 8月7日の夕方から治療の開始、24時間での点滴と酸素吸入です。
 1日、2日経つと困ったのはトイレの問題です。当然安静で、体を動かせないので、排尿と排便です。意識がハッキリしているだけに、尿は溲瓶があれば、自分で採れてそれで良いのですが、大が問題です。初日はカーテンで仕切って携帯用おまるで済ましたのですが、どうも意識がハッキリしてシャイな私では耐えられない。注意深く廻りを見ていると車椅子でトイレに行っている人もいる。看護師さんに言ってみると、簡単に車椅子に乗せて身障者用便所へ行ってくれた。これでトイレ問題が解決です。
 この喜びは入院の3カ月間、常に付きまとった問題とストレスです。後に話す、認知症テストとお見守りと称する安全の枷による精神的ストレスです。8/12 会社への伝言メモ作成。所員へ手渡す。
8/13 点滴治療総て完了。 8/16朝 待望の個室に転室なった。 8/18朝 酸素吸入不要になった。
     北村先生、森先生 ホントにありがとうございました!!。

1月4日

カナダのタケへの賀状

 今、パソコンの先の庭を見ますと、いつものヒヨドリ2羽とシジュウカラ数羽とメジロ2羽のグループが来ていましたが、梅の小枝すべてに、早や小さなつぼみが付いて春の訪れです。今日は、正月3が日も過ぎたので、此のブログを借りて、カナダのタケへの賀状にしたいのです。
 カナダのタケとは誰かと言うと平19年4月にも掲載しましたが、中学以来の3人の友達で、タケ、ハツ、クリと呼び合っていた仲ですが、二人は東大に入った真の秀才です。私のことはハツがタケに告げたようで、年末にお見舞いのサーモンが届いておりました。バンクーバーのタケの方が眼の病いで大変なのに!。イヤー大変なのはローマ字でメールを送信しなければならない私の英語力のなさです。それでも大晦日に返信が日本語表記で届いたのでホットはしているのですが。武居さんありがとう!。元気でいて下さい。
 ところで、Skypeで無料のテレビ電話をあなたとしたいので、アカウント名を知らせて下さい。当方は既にヘッドセットとWEBカメラのインフラは整っています。

1月3日

松島の闘病記

 いよいよ、予告しました私の闘病記を記していき、少しでも余人の参考になればという思いです。
 健康保健の分類に従って、急性期、回復期リハビリ、在宅期リハビリの3グループ毎に分けて記していきたいと思います。ただ、私の場合余りに、急性期状態が短く(約1週間)、闘病記とすることが正しいのか?迷います。(→つづく)

1月2日

鶴田浩二と「蒙古放浪の歌」

 大晦日に 紅白歌合戦のせいで、昨日も言いましたが、唄の環境に染まってしまったようで、(パヒュームが仲々いい)、「ちあきなおみ」のCDから私の持っている唯一の鶴田浩二のCDも再生しだしたわけで、その曲が特に「蒙古放浪の歌」です。
 その昔、銀座のはずれのバーのカラオケにメロディが入っていたことがあり、そこのママさんも私もびっくりしたわけです。というのは、その店でその曲をかけたのが、私がニ度目の客だったようで、わたしもアカペラでなく曲があったことに、逆にびっくりしたものです。最初のリクエストはどうやら市ヶ谷自衛隊の幹部候補生の方のようでしたので、なるほどと納得したモノです。年老いたママさんは、その自衛隊の若者達に何か好感を抱いていたようで、珍しい歌を披露した私もついでに歓待された覚えがあります。
 高校時代、一時、山岳部に在籍し、先輩達に山の歌をいくつかおそわったものの一つでした。また、その高校の山岳部の部歌が「娘さんよく聞ーけ」の「山男の歌」の元歌になったこともあったりで、鶴田浩二でもあり、軍歌ぽい唄で納得ですが、(私は鶴田浩二の軍歌は、右翼に利用されたりで、世間に誤解されていますが、反戦歌そのモノだと思います。)今日もまた久しぶりに何度かCDを再生しました。
                  *山男の歌の元歌のメロディも確か海軍の唄だったと思います。

1月1日

紅白と「ちあきなおみ」

 退院して約1ヶ月が過ぎ、私の闘病記めいたことをのせることをお約束しましたが、案外、日常の生活が忙しく、すぐ新年の正月です。紅白歌合戦のせいでふだん音楽や歌に縁の薄い私でも、唄の環境に染まって、大晦日の夕方に録画しておいた「ちあきなおみ」に涙しながら、新しい唄を知り、更に深いファンにはまったのです。

2010年 元旦

平成22年 正月  あけましておめでとうございます 左をクリックすると賀状が現れます

11月14日

退 院

 約3カ月ぶりで退院できました。ホントに様々な方のおかげです。ただ感謝のみ。
私の入院と闘病については後日詳細に記述いたします。 

9月10日

転 院

 急性期対応の横浜栄共済病院から回復期リハビリ対応の鎌倉聖テレジア病院へ転院しました。

8月16日

一期一会

 今日から治療が終わり、個室に移れました。夜勤(終夜)の看護師さんが「誰;だれ」と挨拶に見えました、これは患者にとっては非常に大事なことです。夜はトイレとかいろいろ不安なことがあり、夜勤の看護師さんの顔と名前がわかることは重要なことといえます。これからは手帳に”一期一会”として記録しようと思います。ですからこのブログめいた日誌も松島の遺言から「松島の一期一会」に変更していきます。

8月7日

入 院

 横浜栄共済病院の集中治療室(SCU)へタクシーで入院しました。約1週間の24時間の点滴と酸素吸入の治療でした。

8月4日

再びの飲み会

 この春からの理不尽とも言える施工会社へのいじめで、現場の所長連中の元気が最低になっているので、元気付けに飲み会でもやろうと、会社のそばの蕎麦やではげまし、なぐさめの飲み会をしました。春にもやったのですが、気分は不調だったので再びの飲み会でした。

6月22日

釣りとシオラレオネ

 中学以来の友人のハツですが、定年以降、自分で仕事を見付けて、時々海外の仕事をやっているのですが、少しは暇なときがあるらしく、釣りの誘いがあるわけです。しかしこちとら暇無しの63才で,いくチャンスがないままにしたら、今年はシオラレオネの仕事で、メールによる近況報告では何とホテルの窓から釣り糸を垂らしているらしいのです。帰ってきたら一度つきあいましょう。(シオラレオネは私はよく知りませんが、世界の最貧国の一つのようで、医療・電力状況が悪いようです。彼は電力のインフラ整備のことで出張しているようです。シオラレオネのためにがんばれ!!)

6月13日

     梅

 今年は梅が落ちるまえに収穫しました。

5月30日

文庫本と老眼

 老眼になってこの方、夜寝ながら本を読む50年来の習慣が出来なくなり、寝るのに苦労していたのですが、例の延々と続いている「居眠り磐音」の連続時代小説にはまってから、文庫本も読めるようになりました。

5月8日

不景気と情報化社会

 世界中が百年に一度の不景気だといっていますが、ホントにそうでしょうか?確かに世の中、不景気になっているが、それは世界中が一つの情報によって動かされているからだと思います。情報化社会・ネット社会・グローバル化の弊害ではないでしょうか。私は以前からパソコンそのものの弊害に気づいていたのですが、どうでしょう。世界中が同じパソコンソフトを使い、同じセルのなかに入力しその結果について無条件無批判にその答えを信じることが?!!

4月26日

亀井先生の奥様

 先生の奥様の葬儀の通知が届き、取る物取りあえず長野までの「浅間」に飛び乗りました。御遺族は内々でとのご意向でしたので、お花の用意だけお願いしたわけですが、やはリわたくしの人生に於いて、もっとも恩になった方が、亀井幸次郎先生と奥様の亀井三四子様です。先生は父と親しく、同じ日大教授で、防災工学では日本でも著明な方でした。
 約30数年前、私の結婚について大反対の父を、説得していただくようお願いしに、市川のお宅に初めて伺い、狭い台所から驚嘆すべきお料理が手品のようにあらわれ、私を歓迎してくださいました。
 その後、先生をもってしても結局、父の説得はかなわなかったのですが、私の実の父母に、子として無視され、絶縁されたことは、心の奥に大きな傷として残ったその代わりに、奥様が聖母のような存在として私どもにやさしく接して下さいました。いろいろな想い出、様々の御恩は語り尽くせぬものがあります。
 詳細を御存じない御子息へ何と説明したら、御理解していただけるのか、とまどう私どもですが、確かに精神的に、これ以上の御恩はありえない方々なのです。ですから「浅間」に飛び乗ったのです。

4月13日

管理建築士講習と試験

 例の姉葉の件以来、建築界に行政のおせっかいとも言える規制の強化が増してきた一環で、設計事務所の継続には欠かせない管理建築士の資格が今年から講習と試験で認定ということになったのです。それまでは事務所の長としての経歴と経験を申請すれば、済んだことですが、全て不信の世の中です。講習は勉強でありそれは当然ですが、長時間の講義の後、疲れ切った60の年寄りに試験とは酷です。目も霞んだ年寄りには!!

3月22日

静養老人ホームの火災

 これは貧しい御老人が、正にゴミ捨て・姥捨て、にあったと同じことと思います。

3月15日

土筆

 2週間位まえにはもう、土から芽が出ていました。

3月13日

ウグイス

 2週間まえ、今年始めての鳴き声を耳にしましたが、少し例年より遅いなー。

3月7日

気象予報士の山崎君

 山崎一哉君が最年少で気象予報士になったニュースに接しました。私の中学の後輩になります。ですから、わがことのようにうれしく、また心配になります。このまま、すこやかにのびやかに育って欲しいという余計なおせっかいですが。 

平成21年(2009年)元旦 あけましておめでとうございます

12月1日

円覚寺龍隠庵講座

 また境野先生の講座に出席できました。密かに期待していた先生の新著作「道元「禅」の言葉」が三笠書房からでたようです。早速、書店に行き買い求めようと心に決めたところ、ナンと先生よりすぐ一冊づつ戴けました。
 ホントになんて御縁の深いことでしょう。小田原相洋->大井町最明寺->相模原長松寺->鎌倉道元碑->円覚寺龍隠庵->そして今度の境野先生です。更に言うと空海との御縁です。自分が思っている程、己の人生は悪くないのではと考えています。何かの役割りが、私には確かにあるのでは?と思い始めました。

11月25日

田舎の土地の処理

 今日は、5人で相続している田舎の土地の最終売却に滋賀県の甲賀市まで行ってきました。父の残した先祖の土地です。9月より話がありトントン拍子にまとまりました。初めていく土地です。のぞみで京都まで(ナンと2時間半です)それから逆行し草津から1時間2本の柘植亀山行きに乗り換えて三雲というところで下車。不動産の社長が迎えにきてくれて約30分で処理終了。再びトンボ帰りで帰宅です。9時に出発して夕方6時になりました。丁度、京都付近は紅葉まっさかりでしたが、全て車中からの眺めでした。でも田舎の土地の処理が一つ出来てホットしているところです。まだまだ処理せねばならぬことがあるのです。生きている間に出来るかな?。

9月5日

 認知症の予防

 最近、暗い話ばかりで、少しためになる情報でもと思っていましたら、NHKの「ためしてガッテン」でアルツファイマーの予防をやってましたので、かいつまんでその要旨をお伝えします。10年以上前の私の知識ではボケの主原因は脳梗塞が8〜9割と思っていたのが、最近の研究ではアルツファイマーが逆転し4割になっているようです。その原因も日々解明されつつあり、大脳皮質にβタンパクという成分が溜まり脳の司令機能、分析機能、記憶機能に障害を与えて認知障害を引き起こす様です。それもだいたい50才頃から溜まりだし約20年間くらいで発症するようです。その予防には1.有酸素運動(毎日20分)2.積極的コミュニケーション(会話)3.生活習慣病の予防 の3つが効果があるようです。そのほかに漢方薬(抑肝散ー妄想いらいら怒りにきく)がかなり効く・・・が、今の最新知見のようです。
 でもやっぱり、話は暗いですネ。

8月28日

アフガンの青年

 「しっかりと飯を食わせて陽にあてし布団にくるんで寝かすしあわせ」 これは讀賣新聞の編集手帳欄に載った歌人、河野裕子さんの短歌です。アフガンの伊藤和也さんが無事に戻ったら腕の中に抱き留めたいという、ご両親の強い思いを表現している句でなかろうか思います。またそれは日本全国の親が等しく願っていたことでもあります。また犠牲となった和也君も志として、アフガンの村の家族の風景をそう願って、実現したくて、NGOの活動に身を投じたのでしょう。讀賣の編集子の選んだ句は正に的確であり、また親の、特に母親の子に対する愛情と力強い自信とを表現した素晴らしい句であります。うろ覚えですが、ご冥福と共にここに掲載しました。

 6月16日

境野先生と会えた!

 かれこれ50年ぶりの先生は、お若くまたやさしかった。以前も深い愛情と厳しさとがありました。先生に毎朝の「奧の細道」の素読が印象深かったと申したところ、大変喜ばれました。先生はネットで調べたところ、日本の哲学者のお一人であるようです。円覚寺の講義は老子荘子についてでしたが、今年後半は道元について執筆、出版されるようですので、つい鎌倉の道元碑の自慢をしたところ「エーッ」って仰け反って驚かれて、講義の前半は先生と私のやり取りに終始してしまい、他の方々に申し訳なっかたですが、楽しい楽しい時間でした。

2008年平成20年
6月13日

境野先生と会える!

 昨日、ハツからの転送メールで境野先生が円覚寺の龍隠庵に6月16日(月)の1時に見えられるという情報。勿論、万難を廃して伺うつもりです。東慶寺の井上喜ちゃんからの転送です。私が生きている内に是非会いたい方です。そのわけはこの松島の遺言の平成13年9月14日の田毎の月に書きました。13日の金曜日にナンと良い知らせでしょう。

6月4日

相洋 立体映像

 久ぶりに、相洋中高等学校のスカイホールのVPを点検する機会があり、行って参りました。10年前に完成させた校舎ですが、いま改めて見直しても、我ながら凄いの一言です。ハイビジョンの立体映像です。当時、ハイビジョンもやり尽くし何か生徒に新鮮な驚きを与えたいというのが私の考えでした。それで当時、NHKも見学し3Dを実現させたのです。その映像ソースが「やませみ」です。今更ながら新鮮な驚きです。毎日でも見に来たい。もっと生徒達に何回も、沢山の父兄にも見てもらいたい。情報をあつめた訳ではありませんが、リアー投影のハイビジョン3Dは滅多にはないはずです。立体映像とはその映像の背中が見える、感じられることも、当時発見出来たことです。

4月21日

遅い春の便り

 また春の便り(好物のフキノトウ)が届きました。感謝です。私のために、休日に、聖山という山に入って採っていただく、姿が浮かんできて、その心と想いに、唯、ありがとうです。今日は天ぷらの用意が出来ないので、味噌汁の中に香りを入れてもらいました。

3月27日

山桜とソメイヨシノ

 いつもの年は山桜が先に満開となり散り始めるとソメイヨシノが咲き始めるのが例年の様子ですが今年は逆になった気がします。でもそのお陰で遠くに見える里山の風情が永く楽しめる結果になりました。

3月11日

ウグイスの初鳴き

今年はウグイスが少し遅いように感じます。

3月10日

土曜日休むと楽!

 25才から社会へ出て約十年近く土日の無い勤めで横浜に来ても土曜を休まずにきて今年初めて自分の意志で休みましたが、休むと身体がラク!!ラクです。

3月2日

土筆の芽がでた

 ツクシは順調に芽が出ましたが、日当たりと日影では出方が違うようです。日影は未だ出ていません。
去年は日影でも早かったのですが。

1月

劣化現象の加速

 以前に日本人の劣化について少し触れましたが、最近そのことがとみに感じれます。公権力を持つ、特に役人に。彼らは多分若いときは理想に燃えて職に就いたのでしょうが・・・。勿論、劣化の割合が増えたと言うことで、立派な人もまだまだ多いと思いますが、多勢に無勢の感がしてアキラメの境地であるのは私だけでしょうか?

1月元旦

御存じですか?滋賀県の寺の多さを

 昔気が付いたことを最近また思い出し何故かな?と思っていることがあります。それは滋賀県の異常に多い寺の多さです。地図を広げてみて特に湖南に寺が多いことがわかるでしょう。京都や奈良より密集しているのです。その理由をどなたか教えて戴ければ幸いです。

2008年(平成20年) 謹賀新年

10月25日

ご存じですか?喫煙指数

 私も還暦を過ぎた頃から、朝起き掛けにタンが絡み苦しいときがあります。変だなと思っていたら物の本に喫煙指数というのが掲載されていました。喫煙指数=一日に吸う本数*喫煙年数 で値が800以上になるとCOPD(喫煙症)400以上になると肺ガンの危険が高まる様で、私は800以上でタンがからむ立派な喫煙症のようです。

10月23日

十三夜

 何で満月でない十三夜を日本人は古来めでてきたのか不思議です。十五夜は中国からきた風習の様ですが十三夜は日本独特のようです。十五夜だけみる片月見が忌み嫌われた位ですので。このことについて私なりに考えたのですが、これは日本人の文化・精神・心からくるものではないかと思います。後、続く

 

10月17日

東京の町並み

 今年びっくりしたのですが、青山、有楽町、東京八重洲等に行く機会があって随分変わったナーという印象です。それは実は今年の東京マラソンの中継で感じたことです。走る選手と共に街道筋が映し出されるのですが、古いあばら屋の店が一軒もない。皆タイル貼り又は石貼りの店構えでした。少し前の東京マラソンでは古くなった店や空き地がチラホラ見られましたが。ところがその後大阪マラソンをみたらバラックと空き地も映し出され、東京と地方の格差って言うやつでしょうか?

10月16日

登録建築家

 日本建築家協会の「登録建築家」の更新があるのですが、同様の制度で専攻建築士も登録しているので、年寄りには荷が重く、登録建築家のほうはすっかり諦めておりましたところ、建築士取得後30年以上のヒトは特別に集中講義が用意されているという有り難いメールを貰いました。早速それを受けに3日間東京に通いました。その講義やシンポに出席して、全てに鬱状態にあった私めも、アクティブなお話のお陰ですっかり元気になって横浜に戻りました。

9月25日

十五夜とススキ

 ここ数年、我が家では十五夜が行事化しています。今年も十五夜の準備を、って言うことで、ススキを物色していて良いのが見つかったのですが、ナンと3日前にゴッソリなくなっておりました。考えて見ればススキは殆ど栽培などでなく、野生のものだと気がつきました。9時過ぎに帰って、食事を済ませ、やおらお供えをしている客間の縁側へ徳利を持って急行。ススキは穂がふさふさした極上のものを家人が決死の覚悟で手に入れたようです。午後10時過ぎでしたが、今年の十五夜の月は特別よかった。雲も無くぼろ屋も原生林の庭も適度に隠して、孟宗竹が風に僅かに揺れ、その上空に満月が光っておりました。
 夏の名残の行事としては、私の田舎で初めて知った「地蔵盆」(子ども達のお祭り)とともに十五夜は、後世に残したいものです。

 9月6日

台風9号

 今年の夏休みには3校で4つの改修工事があり、その3つは私が担当でしたので、結構忙しく過ごした訳ですが、無事完成し、ホット一息付く間もなく、また台風です。自他共に許す?台風ウォチャーとしては早くから追跡してまして、今度も大したことない西の方へ行って北上だろうと、たかをくくっていたら日一日と強くなり、コースも鎌倉直撃のようです。大慌てで、例のごとく2階の庇にあがり、雨戸を敷居ごと5寸釘で打ち付けたのが、9月4日の朝です。9月6日の当日は、仕事もそこそこに4時に帰宅し、1階の雨戸、庭の排水桝の蓋も揚げて一応の備えをし待ち構えました。段々接近するに従って、我が家は、台風の中心の右側に位置し(一番風が強い位置)、殆ど諦めの境地になっていました。夜中の2時3時になると2階の破風のガラリから風がまともに入り、造り付けの天井照明のアクリ板が不気味にバーン、バーンと音を立て、生きた心地がしない数時間でした。さすがに5時には寝入り、朝起きてすぐ点検すると、幸いなことに屋根は無事で、唯一隣家との境の建仁寺垣が5M程倒れているだけで済みました。

7月2日

年金の疑問

 例の5、000万人不明年金リストの件で、誰も言っていないし気がついていない重大なことがあります。それは確か2,3年前に年金の制度改革があり、百年安心の年金とかいって私の年金受給年齢も65才からになってしまいましたが、その時の改革の根拠になっていたのはどの数字で、不足になった金額は何を根拠にしていたのか、5、000万人の未統合受給者の財源は一体どうなっていたのか、改革の根拠にどういう風に算入されていたのか・・甚だ疑問ではありませんか??

6月30日

松島の法則-4

 またまた松島の何とかシリーズです。5月のそんなこんなで、また日本の行く末に想いをいたして風呂に入っていて、まともなヒトは一体いま何人くらいいるのだろうと勝手な計算を試みてみますと・・・12万分の1になったわけです。日本の人口1億とすると約8、000人チヨットです。いたく納得したわけです。まともなヒトとは何も仕事が出来るヒトの意味ではありません。

5月27日

松島の予測-3

 久しぶりに予測-3です。 首相の芽はもうない。夏の参議院選挙後はないと思う。それにしても彼は何か危ない気がします。

5月22日

周はじめ

 今日はNHKで藤沢周平のドラマがあったのですが帰宅の時間に間に合なかった。周平からふと連想して35年ぶりに「周はじめ」という作家を思い出しました。高校生の頃、山の雑誌で「アルプ」という藁半紙に毛の生えたような雑誌ですがそこに、北海道の原野にいるカラス達の生態が生き生きと綴られ大変面白くまたその文体も媚びずにいてすっかりファンになってしまったのです。その頃のアルプには串田孫一、つじまこと、畦地梅太郎、深田久弥という面々が執筆されていたし挿し絵もカラーでなかなか良かったと思います。すぐ自宅のパソコンで「周はじめ」で検索するとまず周はじめ記念館がヒットしました。私より年寄りだからと、見てみると何と温泉旅館の親爺が篤志で造った記念館のようで、アッと言ってしまったのは、ナンと去年亡くなられてしまっていたのです。是非死ぬ前に訪れたい場所の一つに別海温泉ホテルが加わりました。

5月20日


3寸アヤメ

 今年はタケノコが不作で3本位しか収穫無しです。去年はのびたタケノコの始末で往生していたのですが。土筆は豊作でした。3寸アヤメも順調な生育でした。藤もきれいに咲きました。

4月15日

母に感謝

 これまで私の父のことは少しこの遺言でも触れてきましたが、母については何も触れ無かったと思います。10才位には母は40才後半で、そのころの私には同級生の母親と比べて正直、全くの婆さんとしか映らなかったのです。また昭和30年頃の母の40才後半は、栄養その他もあり今とは全く違っておりました。つまり私にとっての母とはもう年寄りであり庇わねばならない存在に思えたわけです。そのうち戦後も時が経ち、父も一介の事務所の所長から公的な役職が増え社会的活動ばかりになった。いわば子供にとっては多少鼻高のこともあるのですが、母はそれとは逆の家庭人そのものです。父とどこかに出かけるとか公の手助けをするとか全くなく父もそれなりに不満もあったことでしょう。子ども達のご飯、身なりだけはきちんとする人でした。しかし61才になった今、母の日本食オンリーの食事が、ストレスの多い自分の身体、命を支えてくれていると思うと、母に感謝です。若い頃はそれが判らずに尊敬も敬意も表さずにいた自分が腹立たしく思われます。

4月9日

タケへ

 カナダのタケへ・・・・去年のクリスマスのメールありがとう。30数年ぶりの家族揃っての写真、ありがとう、ありがとう。安心しましたよ。ありがとう。・・・連絡が遅れて申し訳ありません。久しぶりにうれしく晴れやかな日になって返事ができました。

4月8日

花祭り・選挙

 今日は花まつりで選挙の日です。珍しく仕事も持ち込まずストレスのない日曜日でした。家人が甘茶を持って帰り、その間に庭木の枝落としを先週に引き続きやりました。(教訓:芽が出る前3月始めにやるべき)。県議選に出た若い人がトップ当選で、久しぶりにうれしく晴れやかな日になりました。

3月13日

また土筆

 3月になると土筆の話ですが、今年はやはり暖冬で多分2月25,6日ごろに庭にニョキニョキ出始めた気がします。庭に降りて確認する元気が無かったのですが、先の日曜日の夕べのつまみに土筆が食卓に出ておりました。肥後ツバキも見事な花を咲かせていたと思いますが早散っております。

3月10日

いろいろな想い

 昨年はとうとうご覧のようにこの遺言も、7月23日の何か偉そうなコメントで打ち切りにさせて貰いました。8月末に永くこのビルにおられた神奈川建築士会が退館され、又他のテナントさん達の移動、新テナントさんの入居とかで、この遺言を書いてる暇も心の余裕も無かったためです。建築士会の退館は本当にショックでした。東京の事務所を辞めて横浜に来たことの理由の一つは士会の存在があったからです。このビルを存続せねばならない「公」の意味もあったからです。・・・でもそれも誰のせいでもない、私の力不足努力不足の結果でしょう。ただ、縁あって 横浜国立大学大学院のY−GSA(建築都市スクール)スタジオがこの春、当ビルの3階4階に開校することになって、なんとか先代所長の墓前に少しは報告できそうです。

2007年(平成19年) 謹賀新年

7月23日

劣化ウラン弾の因

 この何ヶ月いや何年も、7月13日に書いた事は・・・イヤ、いつの時代も変わらないのだという意見もあると思いますが、やはり僕らの育った頃よりも確実に劣化していると思う。イヤ、また、夫れは未来のための必要な変化なのだということも、どうも言えないと思われます。
 で、これから勝手ながらその劣化の因を私ながら考えていき、抽出し、出来たら対処法も考えられたらいいなと思っています。

7月13日

蝉の声と・・

 今年は、戸外で蝉の鳴く声を聞かなかったのですが、通勤の車の走り過ぎる窓からニイニイゼミが聞こえてきました。それも道の角角から一斉に。
 しばらくパソコンに触っていなかったので、キーボードに埃が乗っています。どうも精神的ひきこもりは続いているようです。昨今の秋田の幼児殺害と生活保護老人の事件を考えると、いろいろと想いが広がります。一つには、社会の構成メンバーである我々を含めた人間達、夫れ夫れが少しづつでも責任というか義務というモノを果たしたのならあまりそのような事が少なくなるのではと思います。二つ目には、それでも結果的には、日本人が何か劣化しつつあるのではと思います。(私は夫れを劣化ウラン弾と冗談めかして言っています)

5月8日

くるま

 5月のゴールデンウィークを休みました。20年ぶりです。2週間前に新しいくるまが来ました。
20万キロ乗ったブルーバード3Sを変えて。それより少し小型の日産NOTEです。カーナビが付いて今の私にはぴったりの小回りの利く車です。そのおかげで少し心も弾んでいるようです。

4月30日

 たけのこ

 久しぶりに遺言を書いています。先週の日曜日からたけのこが生えてきています。今年はツクシも豊作で、タケノコも多分豊作になる予感がします。

2月16日

春の知らせ

 今朝、明け方雨が降っていました。明け方の真夜中、か細い声で、ケロ・・・ケロ・・とカエルでしょう、声が聞こえます。なんとまー、風情でしょう。

1月元旦

2006年(平成18年) あけましておめでとうございます 今年も宜しく

12月25日

姉歯の件(その2)

 続報ですが、つい姉歯の件としてしまいました。彼には済まない気が少しします。名前というのは、大した事でもないようでいてなかなか重要でもあるところですが、彼は単に使われ者の技術屋さんなのに事件を表象する名前になってしまっていて気の毒です。
 ところで建築士の一人として大いなる疑問が2点あります。
 問題になっているマンションとホテルですが、どうも私の調査不足もありますが、だいたいは8,9階から12〜3階建てがほとんどではないかと思われます。それがRC造で鉄筋不足云々言っているのはおかしい。私の常識では、そのくらいの階数の建物はまずSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造かS造でやるのが普通でしょう。最近は2〜3階の建物しかやっていませんが、昔20階前後の設計をやっていた常識では考えられないことです、今だってRC造にするには高い技術と高強度の材料が必要でしょう。今は構造ソフトも構造解析技術も発達しているとはいえ基本は変わらないはずです。ですから構造形式をどうするかがまず問題です。意匠事務所(総括設計)の事はあまり云々されていませんが、構造形式をどうするかは総括設計を担当する意匠事務所の役割がまず大きいはずです。つまり企画・基本段階で大きな誤りをしている点です。これが誤りなのか意図的なのかは判りませんが、大いに問題です。そのことを指摘しない識者や建築士もおかしいと思います。構造をSRC造にしていたら鉄筋不足云々もそれほど問題にならなかったでしょう。いや偽造するつもりだからRC造にしたのでしょう。
 そのことに関連し第2の疑問です。何故、建築の職能団体は建築家・建築士・設計事務所の存在の危機なのにもっと発言しないのか、もっとまっとうな意見を言わないのか?またマスメディアに意見広告しないのか?・・・全く疑問です。

12月14日

姉歯の件

 今日はこれから姉歯の件で国会証人喚問があるようですが、遠く海外にいるタケとハツに簡単にいうと、姉歯の事件は不動産屋とホテルコンサルが主犯の大詐欺事件だろうということです。建築士や民間検査機関のこと色々言われていますが、マスコミもチョッと的はずれなところもあります。詳細は後日また。

10月25日

ありがとう

 今日は私の誕生日です。自宅のMacを立ち上げたらドキッとしました。Happy Birthday の文字が突然現れたからです。1週間前から自覚していましたが、還暦の60才です。
 夜、現場の所長達がわざわざお祝いに飲みに来てくれました。
     ・・・厳しいだけの私なのに。
 ムーミンパパ、和チャン、クマさん、コミヤンマ、しげちゃん
     ありがとう、ありがとう。
 うちの家族も22日にそば屋で祝ってくれました。1週間前から自覚しているのですが、急にすべてがジジイになった気がします。

10月23日

ドリカム

 最近ではない今年ですが、テレビの「砂の器」のテーマソングがドーリムズカムトルーが唄っていることを知りました。ドリカムは最高です。ラジオで聞いた「ラブ、ラブ、ラブ」もいい。おじいさんとしては目覚めました。だからこの夏での日本を代表するミュージシャンは当然でしょう。CDを手に入れました。

9月18日

御礼

 先日、現場の施工会社の人から「所長最近、遺言が更新してませんねー」「エー見テンノー」「女子社員が見てるんです」、この女子社員って言葉で、私は急にやる気になりましたですナ。ここでこの取り留めのないジジイの繰り言の読者?の方々にお礼を申し上げたいと思います。

9月11日

原爆とアメリカ

 先日ヒロシマのことを書きましたが、今はやはりそうだったかという気持ちです。
原爆を落としたのは自国の将兵の犠牲を少なくして早く戦争を終わらせるために止む得ないことだったというアメリカの言い訳が欺瞞であることが、戦後60年の様々なメディアで言われ始めたことは、私の幼少の頃からのモヤモヤに明快な解答がでたと言うことです。何故モヤモヤしていたかと言いますと、敗戦の年の10月の横須賀生まれだからです。もの心がつく5,6才には身の回りに米兵がわんさかいる環境でした。戦争に負けたことも、ヒロシマ、長崎に原爆というものが落ちて悲惨なことが、ごく身近なこととして本やポスターラジオ等で判ってきました。これは全く文句なくひどいなーという率直な感じです。それなのに成長するにつれて、日本とアメリカは全く親しいもの同士になっていきました。それが何か胡散臭い気がしていたのは私のような世代だけなのでしょうか?
 今日は選挙です、投票の帰りに久しぶりに本を購入しました。「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」鳥居 民著 草思社¥1,600 です。

9月11日

小泉首相応援の理由

 先日、小泉首相の応援の記事を載せたのは、私のこの遺言を読まれている方にはチョット奇異な感じがしたと思いますので、説明しますと、個人的なことです。前に私の父が昭和43年に参議院選挙に出馬したことを申しましたが、その折り自民党公認をお願いしたのが、父上の小泉純也さんです。父には他に親しい方がおられたのですが諸般の事情でお願い出来ず、小泉純也さんへお願いしたのです。ですから父は福田派から出馬しました。23才の時、安浦の埠頭のハイヤーの中で父を待っていたことが思い出されます。純一郎さんは当時イギリス留学中でした。素敵なお姉さんを遠くから見かけました。それ以来は何の接触のなく只のファンとして応援しているのです。

9月1日

60年の垢

 もう来月で満60才です。60年生きてくると私の廻りに様々なゴミが溜まってきています。事務所の中にも処理しきれない資料がそのまま段ボール詰められ沢山残っています。私のものも前の会社当時の資料がそのままになって段ボールに入れられています。でもほとんどは私のものではありません。頭の中にも同じようにゴミが溜まってきています。処理し解決できないゴミが、・・・。でもそれの大半は私のせいで生じたものではありません。物事を凝縮して一つのことにまとめることが出来ない、処理出来ない、あえて言えば無能で怠け者のおかげです。それも私が処理しなければならないものです。それが毎日毎日ストレスであり、垢として溜まってきているのです。これは私も気が付かなかったことです。これから年をとっていく若い人たちに忠告出来る事柄です。

8月15日

沖縄戦

 ヒロシマの話しをしたので、沖縄のことを言います。ヒロシマ・ナガサキも問題無くひどい悲惨だ。しかし日本国民として忘れてはならないのは沖縄です。何年か前にNHKで放映されていましたが、沖縄戦のことです。日本海軍守備隊司令官は大田 実少将です。その玉砕全滅の前に大本営宛に打電された文章です。「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを・・・」。このシーンを思い出すと涙があふれます。ですから私は小さな人間ですが、沖縄の人、沖縄の何かに出来ることがあれば、内地人として無条件に尽くしたい気持ちでいます。我々内地人は、今この電文の背景にある沖縄の人々の犠牲に対して本当に応えているのだろうか?戦勝国アメリカのように傲慢と差別は無いだろうか?

8月7日

小泉首相

小泉首相がんばって、誰が何と言おうとあなたは立派です。身体に気をつけて頑張って!

8月6日

ヒロシマ

 今日は久しぶりにコンクリート打設の型枠たたきをした後、汗だくで帰りましたが、今日はノーモアヒロシマの日です。その様子をテレビで見ましたが、一つ感じたことは全世界の子供達は必ずヒロシマヘ巡礼すべきだと言うことです。キリスト教イスラム教仏教とも巡礼しているがヒロシマへこそ全世界の人々が巡礼し、それを知るべきです。神の存在よりもすごい絶対的事実に、神を遙かに越える悲劇とそのパワーの記憶を。

8月

無題

やっと8月になってこの遺言の続きを書きます。振り返れば、どうも4,5月からパタッと書かなくなるのは毎年の傾向のようですが、自宅のiMacも故障し(フライバックトランスiMacに多い故障)更新できなかったわけです(半年以上)。

4月1日

春の便り

 今日は、うれしい春の便りが届きました。お煎餅の金箱に一杯「ふきのとう」が詰まって届きました。香りが高いふわふわのふきのとうです。長野からの遅い春の香りです。寺澤さんありがとう。天ぷらにして食べます。ふきのとうは好物です、毎年山で採るのですが今年はその気力がなく食べられなかったので、ひとしお有り難く感謝感謝です。

3月10日

リーダーの資質とまつけんサンバ

 最近、私の情報源はもっぱら通勤の行き帰りのラジオですが、今日は丁度、明治大の先生が話をされて、どういうテーマでの話か定かではなっかったのですが、まつけんサンバと長島監督が話題です。リーダーの資質がどうこうということです。だから、まつけんサンバは「殿様」が踊っている訳だそうです。リーダーというものは気楽に踊るようなキャラが必要ということでしょう。その話は何となく判るわけですが、私を妙に感動させたのは、宮澤賢治もそうだったという話です。私、実は中学生の時からの賢治の隠れファンであります。一人で田や畑にいるときに「ホイ、ホイ」と踊っていたようです。それを聞いてすっかり納得した私でした。

3月3日

土筆

 雪の多い年ですが、やはり自然のサイクルは多少寒くても正確です。雪が積もっていても2,3日前から土筆が芽を出しています。寒そうですが

平成17年2月6日

梅の開花

 今年の始まりは、やはり歳時記からです。昨日、庭の梅を眺めると4〜5輪咲いていました。丁度、立春(2/4)に開花をしたのでしょう。1月を過ぎ、私の精神も少しずつ余裕が生まれてきたのかな。

2005年(平成17年) 謹賀新年

12月26日

美しく生きる

 今年も、もう年の瀬です。来年は酉年、私の年です。去年は年末に障子貼りをしましたが、今年はそんな元気もありません
 日本がますます悪くなるような気がします。いろいろ考えることはあるのですが、元気がなくなるばかりです。
 いろいろの生き方、これが正しい、こうすればよくなるって考えますが、それも疲れました。
 ただ、私個人については老齢に入る来年からは、ただただ、美しく生きたい、生きていきたいと思う年の瀬です。

12月8日

ハンズフリー
ヘッドセット

 11月から悩んでいました。実は交通違反の悪事をし、今2点しかありません。今度違反をすると3〜6ヶ月の免停がくるのです。そこへ11月からのケイタイ電話規制じゃないですか。弱りました。私はどちらかというとクルマに乗っていると、いろいろ気が付くたちで、方々へ連絡することが頭に浮かんで、ケイタイで電話連絡する訳なんです。弱りました。
 親しい中古車の社長が「松島さんそれはコンビニで700円かそこらのイヤーホーンで大丈夫だよ」。テレビの通版で6000円がとこ覚悟を決めていましたので、買いました。念のためAVに得意な所長に確認してから。
 そしたらホントにハンズフリーでした(但し掛かってくるのだけ)。イヤーびっくりしました。ヘッドセットを接続しておくと自動的に通話になるんです。切るのも相手が切ってくれれば切れますので、ホントにハンズフリーでした。714円です。
 でも発信は、やはりケイタイに触れなければならず、一寸と違反です。

12月5日

冬の大風

 12月5日の朝は布団から出たくなく、悶々としていました。7時にトイレに行くのに廊下の外を何の気なしに見たら、5月に直した建仁寺垣が見事に倒れていたのです。目を疑いました。実は前日に植木屋さんが入り、虫に食われて立ち枯れの松の大木を切って貰い、垣根も今年の台風と老朽化で一部を補修したばっかりなんです。気力が萎え、午前中布団のなかで悶々としていました。諦めと少しの勇気をふるって昼食後取りかかり、やっと5時に完了させました。
 丁度、20年位前にも11月末か12月始めに大風が吹き、解体中の現場の足場が曲がったりしたことがあり、この季節には必ず大風があると認識し注意していましたが、その夜は白河夜舟で何も知らず、家人は一晩中恐怖で寝られなかったようです。現代っ子には自然の脅威が判ったようで、台風にあびえおののく私に醒めた視線を送っていた時と反対になり、それはそれで良い教訓にはなったようです。

10月9日

台風の恐怖

 私は、自分が死ぬこと以外はあまり恐怖というものがない人間ですが、台風は恐い。
 特にその風の強さが恐怖です。何故かというと、我が家は街の地盤面より2〜3階高い立地で、しかも大正末期の木造のぼろ家です。洪水や崖崩れはないのですが、何しろ風に弱い。
 今回の台風の気圧を考えると、6割の確率で屋根が吹き飛ぶと覚悟しました。
 ものに対する執着は無い方なんですが、そうなったときの、ぼろ家の片づけ等々のことを考えると憂鬱になってしまうわけです。ですから今年は気の休まる時がありません。

10月2日

焼き芋の車

今日、帰宅の高速料金所エリアで焼き芋の車が一所懸命、薪をくべているところを見ました。

9月26日

プロ野球騒動

 昨今のプロ野球騒動を見ていると判ってくることがあります。
 まずプロ野球はまだまだ国民的スポーツであるということです(私はあんまり関心はないんですが)。
 次に各球団または親会社は、その割には宣伝の手段位にしか考えていなかったということです。
 そのなかで讀賣巨人だけは宣伝だけではなく、プロ野球は国民的スポーツになりうるパワーとか旨味とかがよくわかっていたと思います。ですから渡辺オーナーだけがプロ野球のことをよく考えていると、評価されているのです。ドンと言われている所以です。プロ野球の制度や規則も彼のリーダーシップによるところ大だろうと思う。しかしそれも笑止千番です。ジャイアンツこそが過去、その制度や規則を一番破っているのですから。
 よく考えるとジャイアンツの親会社は、讀賣新聞ではなく、ジャイアンツが、讀賣の親会社ではないかと思います。そもそも、讀賣新聞は真の報道機関、マスコミ、ジャーナリストでしょうか?
 はなはだ疑問です。新聞社ではなく、興行会社に近いのではないでしょうか。
 日本一の購読数を誇り、日本人の半数以上はジャイアンツファンで讀賣でしょう。たかが、野球でしょうが、ここで考えてもらいたい。・・・巨人ファンに!!。
 これらを突き詰めていくと、ブッシュがイラクに戦争を仕掛けても、北朝鮮が日本人を拉致しても、NO!といわない人間の集団が蔓延していく、この世の将来に想いが及びます。

9月16日

再び、田毎の月

スイマセン。昨年の9月14日の田毎の月・姨捨山の写真がどうやら違っているようです。ホントは、この写真の丸で囲ったように、独立峰ではなく、なだらかな山の斜面(そこが田毎)を見下ろす小さな峰(耳)くらいの突起が姨捨山のようです。左の写真の矢印あたりが、段々の田が扇状に広がり月を映す舞台になっています。奇しくも丁度一年後にまた更埴市(いまは千曲市)に出張しました。

6月13日

うめ

 今日の日曜は梅を収穫しました。一昨年のこの「遺言」では、6月9日になっていました。

5月30日

年金の受給者たち

 少し過激なことを書きます。私も今年で59才になり年金の受給資格齢に近づいてきました。
 それまでは年金なんて貰うつもりもないし、死ぬまで働くんだ!って叫んでいた方なんです。
 しかし去年あたりから住んでいる街や社内を見回してみると、なんと御老人の多いこと・・・、しかも彼らの実態を観察すると憂鬱になります。
 彼らにとって「リタイア」「老後を楽しむ」「楽隠居」ということでしょう。年金はそれをサポートする大事な制度です。しかし年金の受給者たちはそれによって「楽」を謳歌するだけなのでしょうか?100%近い日本人の老後というのは現実にはそうじゃないかと思います。
 養老孟司さんは、どうやら中学の先輩のようです、私は不出来な後輩ですが。・・・例の『バカの壁』と年金制度の普及と充実とは非常に相関関係があるのじゃないのか?!って思います。
 この話はまた続編を考えています。

5月9日

建仁寺垣

 五月はいつも連休に出社になるのですが今年は仕事が少ないので休暇が取れるかな?と思っていたらまた出です。大風で垣根が倒れたので、自分ちの孟宗竹で修理しました。竹を縦にさくことが難しいとは思っていましたが、やはり難しいし危なかった。青竹を裂いてから、ふと枯れた竹ではどうかと考えて試してみたら、これが大成功。まだ弾力が残っているモノであれば充分使えます。

4月4日

焼きタケノコ

 今日から、八幡さまの春祭りです。遠くから練り行列のかけ声も聞こえます。街は大混雑でしょうから家の中に引きこもっていましたが、ふとタケノコが出ていないかと探ったら5本、土の中に生えていました。焼きタケノコにして食べたらおいしかった。中学生のときに生えてきた1本の孟宗竹を大事にしたかいで、これからは収穫だけの時代になりました。

3月22日

長松寺の花

3月5日

せんだん保育園現場

 あと、10日で完成です。初めての保育園、私の人生の中で、珍しく、今から自信がもてる施設になりそうです。

2月29日

つくし

 毎年のことですが、つくしが出ているのに今日、気がつきました。去年は2月23日ですからそんなに暖冬では無いんじゃないの!

2月15日

蝶々

 花に誘われて、黄色い蝶が舞っています。ずいぶん早いんじゃないの!!

2月8日

春の花

 庭の白梅が咲き始めました。肥後ツバキも咲いていました。

2月3日

実現して貰いたい事

 夜、風呂に入りながら、二つのアイデアが浮かびました。
パトリシア・コーンウエルの世界的ベストセラー、女検死官シリーズが映画にならないかナー。
もう一つは、交差点の信号機です。その改良のアイデアは僕の頭の中にあるのですが。

1月21日

生きていくのが・・

 今朝は、ホトホト、生きていくのが、もうイヤになってしまいました。
毎朝シャワーを浴びてスッキリして仕事に行く習慣ですが、今朝はつい横着して眼鏡を脱衣の上に乗せ、風呂からあがって、それを床に落としてしまいました。拾いあげたら眼鏡のツルが外れていました。ネジが外れたなと、、さほど苦労せず見つかりました。無くしてはいけないと自分のベットの上でネジを取り付けたのですが、ヒンジがガバガバです。どうやら何かパッキンかワッシャーが必要のようです。脱衣所に戻り、這いずり回って手探りで探し回って、やっと見付けました、米粒より小さく薄いワッシャーを。戻って再度取付、、、ダメ、もう一つワッシャーが必要らしい。懐中電灯を持ってまたまた脱衣所、、ダメ・・・あきらめた。出張時間が迫ってるので、背広を着たが、もう一度探そうという気になり、這いずり回って・・・・・・あった!!!。急いでまたベットの上に戻り、焦点がぼけたまなこでネジを回した途端、プッチと音がしてどこかへ飛んでってしまいました。
 ここまで、自分でもマアーしつこく書いたナーという所ですが、60以上の方にはご理解いただけると思います。床を這いずり回っているときに、様々なストレスと不自由さの想いが去来して頭が一杯になってしまうことを。死にたい訳ではなく、生きていくのが・・・

1月20日

薪積めば???

 昨年の12月27日の「薪積めば」の句は、良寛さまの句であると云えません。いろいろ調べましたが、「焚くほどは」は、確かに良寛さまの句で正しいのですが、前の句は不明です。どなたかご存じの方、私にご教示くだされば、さいわいです

1月8日

のけぞり(2)

 またまた、正月早々、のけぞってしまいました。
昨年末より極端に水洗の流れが悪くなっていましたが、今朝、下水桝が詰まっていることが判明しました。業者さんに頼んで修理して貰いました。単なる詰まりだと考えていましたが、帰宅して報告を聞いたらのけぞってしまいました。クマ笹の根がびっしり土管の中に数メートルにわたって生えていたそうです。取り除いた詰まりの元は、まるでシュロの木の幹のような、大蛇のような代物でした(尾籠な話になるのでこれ以上表現できません)。私は、元来、竹や笹がデースキなんですが、これには参りました。

1月5日

松島の予測-2

 久しぶりに松島の予測をお送りします。しかしこれは全く個人的好みの予測で根拠はありません。
・・これから団塊の世代のおじさん達が主役で登場する。(いままで女房や餓鬼に虐げられた世代が定年を間近に自分の行く末を自覚し、逆襲に転ずる)従って、例えば車の売れ筋も4WDやミニバンからオープンカー、スポーツカーが売れ出す。

2004.
元旦

謹賀新年

 昨年末、蔵の鉄窓を開けてみたら、のけぞってしまいました。スズメバチの巣です。巣を造っているのは判っていたのですが、危険なので鉄扉を閉めておいたのです。

 ハチの巣は吉兆のようですので、皆様にもそれをお裾分けしたいと思います。

12月27日

薪積めば

 私の36か7才のとき父が亡くなりました。その後、田舎の叔母が訪ねて来て、2幅の額を手渡されました。父からのものでした。自筆の書で俳句のようなものが書いてありました。私と弟にということです。まもなく叔母も亡くなり葬式やら田舎の整理やらで、その額を気になりながらもほっといて、会社に飾っときましたが、読めない、判読する素養がない、やっと読めたのが10年前で、「薪積めば誰か火をかせ冬篝」と「焚くほどは風がもてくる落ち葉かな」前句が私へで、後句が弟です。そしてその句が、良寛さまの有名な句であると判ったのは、恥ずかしい話、近年になってからです。横浜に来て父が亡くなるまで約3年半、その間、事務所継承の話は全くせず、孤立無援で無我夢中でやってきた20数年、いま、この句に込められた父の思いは、望みは、一体何だったのだろうか?

12月3日

火鉢(つづき)

 火鉢と久野禅師のつづきになりますが、障子と火鉢の話をしたら、禅師が「それはヨー松島さん、鉄瓶はどうしてるの?」ってきたわけです。「サビちゃってどうしようもないんです」「それは一度、茶殻で煮立たせるんだよ。バッチリだから」という有り難いお教えでした。お酒の燗ができます。

11月30日

火鉢

 1日で7枚に進歩したおかげで、客間に座って周りを見回すと、キレイになったが何かが足りない。はたと気がついたのは火鉢です。そして酒の澗です。早速、火鉢に炭をと、見てみると、火箸しかないじゃないですか?五徳も台十能もない。確か30年も、使っていないから当たり前です。街へ買いに行きました。五徳・火興しはあったのですが、さすがに、台十能がなくて注文しておきました。 (火鉢の件の発想は長松寺の久野禅師の影響でした)

11月30日

障子貼り(つづき)

 糊が暖かい内に。いよいよ障子貼りに突入です。紙は下から上へ段ごとに張り上げます。
      (糊は火鉢などで常時微温で暖めとくと、固まりません)
注意ポイント:糊の付け方。最小限でたっぷり。水平の桟は刷毛の毛先を上向きに。
      左端の桟は毛先を左向きに。右端の桟は毛先を右向きに糊を付けること。
      巻紙のまま左から右へクルクル回しながら貼るのですが、その巻紙を水平にす
      ること。(慣れが必要)。
      紙の切断は右端になるが、カッターは女性用の産毛剃りを沢山用意して
      切れなくなったら、すぐ取り替えるようにする。切り方は、巻紙に小指を
      当て、ガイド代わりにして、切りおろす。
 本日の障子貼りは、1日で7枚に進歩。高校生のときは2日で20枚貼ったことを思い出しました。      

11月24日

障子貼り

 30年いや40年ぶりに自宅の障子を8枚、連休を利用して2日がかりで張り替えました。高校生のとき以来です。
 障子はまず、
(1)洗いから。たっぷり水を含ませて、紙が乾く前に、もう一度水で濡らして、紙はがしです。剥がれない部分は、へら(竹又はプラスチック)で丁寧に。たわしは極力使わない。
(2)次は雑巾で拭き取り。そして天日干し。乾いたところで部屋に持ち込む。
(3)さて次はいよいよ糊造りです。障子貼りの半分は糊が決め手。規定の水の約5割増しくらいで、ゆっくり煮ます。硬さの様子を見ながら更に水を少しずつ足していく。少し透明になったら完成。(続く)

11月14日

最近の心象スケッチ

 3年前に、創立50年を祝うことができましたが、その祝いの席で、不遜にも「親父(前代所長)出てこい!今の俺を見てみろ!」って、つい叫んでしまったのですが、・・・・
 いろいろ不条理のなかで、また謂われなき「不肖のの息子」としては、20数年良くやってきた、という自分の想いからでした。しかし今は、それとは異なる想いがあります。無我夢中でやってきた20年ですが、今の日本全体を覆う豊かさからくる無気力と、傲慢な国民を相手の何とも云えない脱力感に支配されている自分があります。これではいけない、そんなはずじゃないと、思いつつ。

10月7日

 本年5月 3日より更新を怠り申し訳ありません。実は寄る年波には勝てず、一年前より継続していたJOBの締め切りを一ヶ月以上間違えていたことに4/20に気がつき、死にものぐるいで挽回したために更新が今になってしまいました。25才の時より会社の中では背広を着用していた習慣をかなぐり捨て、入れ歯も外し、木綿ズボンとポロシャツの四ヶ月でした。なんか、このコーナーを「独り言」から「遺言」へ変更した事がピッタリの今の私です

9月30日

久野禅師

またミョウガの話ですが、久野禅師から教わりました。今の時期のミョウガは皮が固いが、その固い皮をむき取ればいつまでも柔らかいままで食べられる。田中園長からは、天ぷらにするとよい、と教えて戴きました。

9月23日

ミョウガ

私の小さい頃、ミョウガを食べると、物忘れがひどくなると言われて食べさせてくれなかった思い出があります。馬鹿になるって、言われなき差別を受けていたわけです、信じられないでしょうが。お彼岸に墓参りにいったらミョウガが山ほどなっていて、お参りそっちのけで採集です。義父からよく貰って、味噌をつければ、極上の一品のつまみになってくれます。

5月 3日

春の花歳時記

今年の始めから、梅、水仙、土筆、肥後ツバキ、スミレ、馬酔木、チューリップ、タンポポ、サツキ、姫ジョーン{紫苑)、ツツジ、竹の子、しゃが・・・が、本日までの花歳時記です。

2月25日

考える訓練

 私は今まで、まちがっていました。何故、みんな考える事をしないのだろうか?馬鹿なのか?って、思ってました。私は今まで、まちがっていました。
 考える訓練が足りない、してないと。2月の時点では気がつきました。ところが半年以上たった今では(10月)もっと複雑で深い理由があるのでは?って気がします。

2月24日

この世は不条理だ
松島の分析-2

 またまた、考えました。この世は不条理だ。公平・平等など実はないのだ。・・っと、57才になって、断言できました、イヤ、しました。
 そして、死んで、あの世とやら、来世とやらがあるとしたら、お釈迦さん、キリストさんに一言も二言もハッキリ文句を言ってやりたい。現世のことを判っているのかと。
 またまた、考えました。来世での平等がないのなら、不条理の意味は何か?

2月23日


花と季節の移ろい

3週間前に梅がほころび始めました。土筆が1本芽を出しました。片岡鶴太郎さんの話をラジオで聞きました。最近は花を描くことに関心があるようです。季節の移ろいの花々に。私も同感で、絵は描けませんので、もっぱらカメラで。50才になってから、季節の変わり目の風情が特に、しみじみ感じられるようになってきました。若いときはそんなこと特に思わなかったのですが。片岡鶴太郎さんは、映画で棟方志功の役をやって絵に目覚めたようです。

2003
元旦

最明寺

 昨年、私の歴史の中で、特筆すべき事柄が多々ありました。それは、あえて言うなら、ホトケの世界で、しかも心にしみることにたずさわれたことです。それが、神奈川県足柄上郡大井町の最明寺と道元禅師の鎌倉の碑です。偶然、いや私の56才になる人生の帰結として出現した仕事といえるのでは?と思います。

2003年(平成15年) 謹賀新年  今年もよろしく

平成14年
12月19日


蓑虫庵

 仕事で伊賀上野まで参りました。伊賀上野は父・母の故郷です。仕事で何度も往くことがありますが、今回、はじめて、蓑虫庵を訪れる事が出来ました。
 蓑虫庵は芭蕉五庵の一つで現存する唯一の庵であります。芭蕉門下の服部土芳の庵です。
 服部土芳は、私の母方の木津家からでた方です。
 「みの虫の音をききにこよ草の庵」と芭蕉が詠んだ事に由来します。
 庵は茅葺きで土壁の、二間だけの質素で風雅な建物でした。好ましく、はれやかな気持ちで訪れることが出来ました。

12月18日


JR東海ツインタワーロビー

 蓑虫庵と同様、かねてから気になっていたことが、今回の大山田村への出張で実現できました。名古屋のJR東海ツインタワーです。かれこれ十年くらい前、野村総研のコンサルの一端を手伝ったのが、このプロジェクトでした。私は建築部門の担当です。
 この企画のポイントは、いくつかありましたが、大きくは、ビル風、テレビ電波障害(名古屋のテレビ塔)、ツインタワーでの相互プライバシー、そして百貨店・ホテル・オフィスの複合超高層での縦交通の処理です。その解決策として採ったのが、当時の世界最大48人乗りのシャトルエレベーターでした。それが渋滞混雑待ちが少なく、うまく機能しているかが気になっていたわけです。沢山の人々がアッという間にシャトルエレベーターに吸い込まれていく様を見て、爽快そのものでした。
 大山田の現場の人々に聞いてもJR東海さんは儲かっているみたいだし、EVロビーでの混雑もないと聞いて安心しましたよ、(ハツ殿!!)。

11月22日


落ち葉

 この一週間で急に落ち葉が増えました。建築をやっていると落ち葉はいつも嫌われモノです。でも、私は落葉樹が好きです。風情が違うのです。桜もケヤキ、椎、くぬぎ、・・・。落ち葉はいろいろ悪さをするようですが、私は好きです。溝や排水口を詰まらせるのだけ、まずいですが、後はそのままにしておいたらどうでしょう。

11月16日

漢字の力

34才で管理職になってから思うことが色々ありますが、一番は言葉でのコミュニケーションがとれなくなってきていることです。特に話の中に漢字の熟語を入れると半分は理解されていない。日本語の中でも漢字は特に大事だと思います。表意文字の漢字はそのもの以上に我々に深いイメージを与えてくれます。今までの国語教育は完全に間違っています。文科省の言っている「生きる力」の一つの意味はコミュニケーション能力の事でもあります。最近、作家の井上ひさしさんも日本人が興味を持ちだしたことを三つ揚げています。 「ことば」、「歴史」、「健康」です。これは不景気になり、日本が弱くなった反省からが原因でしょうが。いずれにしても漢字の力の持つ意味をもっと考えていこうと思っています。

10月20日

ホトトギス草

 この数年、この季節、我が家の庭に咲く雑草があります。ホトトギスの翼にそっくりですので、その名前を勝手に付けています。駅前で120円で買ったコスモスも咲きました。

10月17日

拉致のご家族

 拉致のご家族のニュース報道を見るにつけ、今は失われつつある良き日本人のすがた。つつましく品位があり、毅然としてしかも優しい、日本の庶民が確かに、そこにいると思います

10月6日

NTTDATA テレビCF

 また、ソングです。戦後最大と言われた台風も我が家の被害は全くなく、おかしいほどです。テレビで気に入ったCFが一ヶ月前から気になっていましたが、余裕のせいでしょう、色々調べて、NTTDATAのテレビCFだとわかり、インターネットで検索して=>「変化」「未来」編 作詞/作曲/唄:おおたか 静流(しずる) と判りました。「やーさら、やさら、やさらー」っていう唄です。いいですよ。(聞くにはRealPlayer必要)ダウンロードはhttp://www.nttdata.co.jp/cm/です。

9月23日

松島の分析-1

日朝会談、拉致問題でわかったこと。それは、いつの頃からか、日本人のかなりの多くの人々が、真面目で真剣な生き方をしなくなったということです。

平成14年
9月14日

田毎の月

 おととい、生まれて初めて600Kmを一日で走破しました。更埴市まで仕事で日帰りです。12万Km走行の中古車で。関越-上越-長野道-中央道。更埴市は更科と埴生の二つの街が合併してできたようです。更科ときたら芭蕉の更科紀行です。中学の国語の時間の初っぱな毎日、10枚程度の手帳の大きさの冊子を空で云えるほど毎日毎日朗読です。奥の細道と一緒に更科紀行、笈の小文、野ざらし紀行が集録されていました。「更科の里、姥捨山の月見んこと、しきりにすすむる秋風の心に吹きさわぎて」というわけです。奥の細道は日本の男性文学では最高傑作でしょう。工場の方に姨捨山はどれですか?と訊ねると正に正面に見える山でした。姨捨山ならあんな山かと思って見ていたわけなんです。
 中学の国語の先生は、境野勝久先生です。私が中学を追い払われた時に辞められています、何か特殊教育の塾を主宰されて居られるようです。山形に帰られた英語の大倉先生と共に一度お会いしたい方々です。下校の田浦港の道すじで、僕と一緒に4人の先生達も辞められると聞いた時の驚きと、一緒にみた夕焼けの空が蘇ってきます。

8月25日

カルピス

 日曜日で、お酒を買うついでに、ふと思いついてカルピスを買いました。30年ぶりの初恋の味です。20才まで毎日のように飲んでいた記憶が甦ります。薄くして飲むのが好きです。瓶を包む包装紙とともに甦ります。あのカルピスのネットリとした中身と瓶が。
 チョットとんでもない、紙パックの容器でした。店の人とやりとりして(もう、薄めたドリンクかと勘違いしたため)でも、味はあのカルピスでした。すこし、しあわせ。

8月15日

お盆と夏と敗戦と

 冷房のせいで自律神経失調症、今日は早く帰宅して50度近い風呂に肩まで入って治療。出てきたところで、送り火です。結婚以来私がやる3度目の送り火。いつも不思議に思うのは丁度今頃、秋の虫がまだ弱々しく鳴く声だけが聞こえるシンとした真夏の夜、ロックを飲みながら線香だけは毎年あげるこの日のこの瞬間、お盆と敗戦の日です。盆提灯から発する透明のひかり、50才から、この夏のこの瞬間を感じます、魂のこと、その存在と全てのことを。お盆と夏と敗戦の、この組み合わせは妙です、不思議です........

7月7日

蛍、蛍、蛍・・・蛍

 33年前の参議院選挙の続きの話をします。多分、6/20位でしょうか、四国4県を回り広島を夜、立ち、島根へ人形峠目指して選挙カーを走らせていました。そのときはもう声がつぶれてヒリヒリ痛みだしていました。村のよろずやで三ツ矢サイダーを買い、腫れたのどを冷やしていたそのときです、突然、小さな光、光が展開しました。すぐ蛍の光だと気がつきましたが、地平線まで無数の蛍が乱舞し、これから上る峠の方向にも、そして走る車の窓からも蛍が飛び込んできます。今でもその光景が信じられない数とともに蘇ってきます。2〜3時間はそれでした。33年前の選挙と言えばそれです。(スーパー筆無精の私としては、なんということでしょうか、1日で3つの独り言を掲載するなんて)

7月7日

松島の予測-1

 日本はあと十年足らずで世界で50番目くらいの国になる。
新シリーズ 「松島の予測」をスタートさせます。上のことを考えていたらナンと、あと十年したら団塊の世代が65才になり、年金制度が崩壊するってテレビでも言ってました。
 暗いことばかりではいけないので、今の日本を再生するには、どうすればよいか?・・・・
 それは、子供達の教育と環境(これは子供達の育つ環境のこと)と資源のいらないクリーンなエネルギーの開発が、日本人に活力・希望を与えて再生可能でしょう。

7月6日

松島の法則-3

 山川海のない平野部の街では非行が多い。(この法則は私の全くの独断ですが、やっぱり豊かな自然に触れ合うことは大切なんじゃないかナー。)明日は七夕、33年前、父の参議院選挙の投票日でした。23才の夏、関西、中国、四国、九州、そして北海道の選挙活動から帰ってきた日です。感慨深い日です。

7月4日

ETC

 6月29日にETCカードがやっと届き、案内書を見たら、早く装着して申請しないと、1万円の割引が受けられないとあって、すぐ購入、しめて3万5千円也。7月3日より稼働。安全・便利・省力化そしてチョットの優越感。毎日高速を利用している方にはおすすめです。

6月17日

至福

 今日は、梅雨の間の曇り日です。松澤嬢から帰ってきた「黄昏のビギン」を聞きながら、湿気の多い空気の中、客間で目一杯拡げて、図面のチェックです。だんだんCDをでかく聞きながら、疲れて、揺り椅子の上で、薄空色の夕日を見ています。これが私の数少ない至福の時間なのでしょう。

6月9日

 今年は大豊作です。20年前に植えた梅も大粒の実がなりました。

6月9日

蝉の声

 街で今年初めての蝉の鳴き声を耳にしました。山里では、まだ聞きません。

6月9日

松島の法則-2

 阿呆ほど経費がかかる

6月1日

松島の法則-1

 何故、大型映像はテレビと比べて感動が大きいのか?
  法則の答え:単位時間あたりの画像の動きの変位量の大きさの差が感動の差に影響する。 (解説:映像と感動との関連因子は勿論、他にも色彩・鮮明度・ストーリーetcと      ありますが、それらは官能因子で数量化しづらい点で、画像変位量のほうが説得力がありそうです。法則というより学説ですかネー)

5月27日

駐車違反取締

 5月27日の夜、会社の近所で夜食、雨が降ってきました。雨の中、駐車違反取締のレッカーがやってきました。ごくろうさまです。・・・・・
ここで又、ひらめきました。
駐車違反取締などの軽微な交通事犯の取締は、民間に代行させてはどうかと言うことです。勿論、法改正と教育機関の設置も必要になるでしょう。アメリカではもう実施している州もありテレビでも放映されたことがありました。最早、何もお巡りさんがやることではないと思います。
これを制度化すると三つのよい波及効果が期待できます。
  1.失業率の大幅な改善が可能
  2.治安が悪化している日本で、本来の仕事、犯罪防止に人員を投入でき治安が良くなる。
  3.相次ぐ警察不祥事も少なくなる。これは2.にも関連するが警察不祥事は人員不足と交通事犯チームと犯罪事犯チームの業務格差がありすぎるのではとの私見です。交通事犯チームはいわばサラリーマン集団です。ミッションのあり方が違います。その集団が同居していたら当然サラリーマン化して不祥事へと繋がるのではないかと思います。・・・なかなかいいんじゃないのかなー。小泉首相に提案しようかな。

5月25日

給料を半分に

 土曜日の朝9:45から外部の方と打合せです。ゆっくりノンビリ、観光のマイカーが前を走っています。高速も事故渋滞が表示されています。このままだと遅刻が必至なので、無理な追い越しとスピードを出します。幸せな家族している横をすり抜けます。・・・・ちょっと待てよ!何でこのシーンで、私が危険を冒す必要があるんだろう。考えてみると変です。民主主義(平等)という名のもとの不平等ではないか、・・・・またまた、考えるとこの不平等は少ないけれど結構多い。私の生きている建設業もそうです。命の危険と隣り合わせです。いや命を懸けてせねばならないときもあります。そして、それに対するフィーは正当ではありません。先頃起こった中国審陽の事件(あまりに情けなくて新聞もニュースも見たくないのがホントーの気持ちです)、これが今の日本の、日本人の精神のありようの大勢でしょう。極論すれば、今の外務省の官僚達のフィーは半分にしてから出直しでしょう。世の中の社長さん達は、いま人事考査、給与評価をどうしたらいいか悩んでいます。その評価のための莫大な書類、それにかかる経費の多さ煩雑さ、まさに噴飯物です。ようは簡単です。よく部下を観察し、接触し、志が高いかそうでないか見極めればよいのです。それで給料を半分にするか、2倍3倍にするか決めればよいのです。

5月3日

黄昏のビギン

 去年からズウーット、ズウーット探していた曲があります。日曜洋画劇場のCMソング(ネスカフェゴールドブレンド)の「たそがれの街ナントカ・・・」って曲です。全部の歌詞は流れないのですが、えらく気に入りました。いろいろ情報を集めると、歌手はどうも、「ちあきなおみ」らしいのです。早速CD屋に飛び、「ちあきなおみ」のCDを見たのですがどうも判りません。しょうがないので、エィーって、CDを計6枚ほど買って帰って良く聞き見たのですが、ナイ・ナイ。諦めて、そのCMだけ録画した、音痴の私としては涙ぐましい努力を傾けたわけです(一万五千円ほどは投資しました)。
 ところが5月の連休初日、何の気無しに、くだんのCD屋で「たそがれ」を見付けたのです。
 「黄昏のビギン」ってタイトルでしたが、横にネスカフェゴールドブレンドCMって書いてあるじゃないですか。それから1週間に1回は聞きまくっています。私にとっては鶴田浩二のCDと共に癒しの音楽になっています。世の中、癒し、癒しと草木もなびいていますが、本当に癒しが必要なのは、一体誰なんでしょうか。

4月18日

家族の崩壊

 今日は、神奈川県の私学事務長会の30周年記念講演会にでました。教育評論家の尾木直樹という方です。なかなか面白く、学校五日制から引きこもり非行等まで話がでて「子どもの危機をどう見るか」という演題でしたが、一時間半が瞬く間に経ってしまいました。そこでショックだったことは、もはや「家族は崩壊した」という分析です。家族の食事を例にされ、同じ場所、同じ時間に揃っていても各々好き勝手なメニューで食事していると言うわけです。ウーンー・・・うちもその通りです。そうなると、いろいろ未来のかたちが見えてきます。肯定すれば、ですが。

4月6日

重い話と戦後の決算

 土曜日、珍しく会社を早引けして鎌倉の仲間と飲み会です。大船のアンダンスーという沖縄料理屋です。46度のクース(50度ないのでちょっと不満)とラフティを4人で痛飲して、後2軒はしごです。
 8日に青山から電話で星野先生が亡くなったとの報。星野先生とは都市問題研究会鎌倉班の同じ会員です。二十歳の頃からのサークルです。都市研については機会があったら話すつもりです。6日も話題にでました。パーキンソン氏病に罹って長かったからです。星野先生はある分野では大変な人です。翻訳本も素晴らしいものがあります。通夜ということでご自宅へ伺いました。ご遺体は花で覆われ通夜葬儀はしないで、お花で送りたいとのことでした。帰る際、奥様から相談されました。それは私の寺と同じ檀家だったからです。おかしいと思っていましたが、やはり仏式では葬儀をされないで、お寺とトラブルになっているようです。無宗教でキリスト教だというわけです。いろいろ難しい話になりましたが、私と同じ檀家になったのは先祖の墓を移されたからです。
    ・・・・ここで私は大変なことに気がつきました。
 それは日本が、昭和20年に戦争に負け、それまでの価値観や文化や仕組みが全く崩壊し、西洋・アメリカ文明が善となったことです。これは私も感じていることです。古い体制はすべて悪で、西洋文明そのキリスト教がどんなに魅力的に見えたことか。日本中、特にインテリ層は強い影響をうけて育ったと思います。無宗教でキリスト教の理屈も何となくわかります。しかし、今56才、70才の知識人達、海外で活躍している私の同級生達、そろそろ死ぬときを迎えつつあります。彼らはどうするのでしょう、日本へ帰るのか? 自分の死の処理・作法をどうするのか? 根元的問いが、実は迫られているということだと思います。

2月23日

道元禅師顕彰碑

 今日もまた、うれしいことがありました。相洋の理事長 久野先生から「道元禅師顕彰碑」の除幕法要に招待したい旨の電話を戴きました。今年は、曹洞宗の開祖 道元禅師の750遠忌にあたるのを機に、鎌倉に碑を建てたいというご希望があり、大恩ある久野先生から「どっかいい土地ネェか?」ということで、私も一肌脱ぎ、八幡様近くにいい土地を見付けることが出来ました。そのことへのお礼ではないかと思います。観光にも一役買って、新名所になるのではと、うれしい限りです。

2月22日

とんでもなーい

 今年の2月22日の帰宅途中のこと・・・・・
私は会社の往復には、殆ど高速を利用しています。
30代のある時、NHKで高速道路の料金所での連続ドラマをやっていました。そこで見たものは寒風吹きすさび、蒸し風呂のような職場で働くお爺さん達です。朝の点呼で
欠けていくお爺さん達がいます。多分亡くなったのでしょう。なかなか深刻です。
それまでは黙ってお金を渡していたのをやめて、「ご苦労様」と言うことにしています。
 まさに「一期一会」の関係ですから。・・・2月22日もそれをやりました「ご苦労様」と、・・・・そしたら「とんでもなーい。ありがとうございました、お気をつけてお帰り下さい」って・・・めちゃくちゃ、うれしかったですネ。

謹賀新年
2001年
平成13年

 正月早々、我が家に白鷺が舞い降りてくれました。吉兆でしょうか、はたまた、お迎えなのでしょうか?

 

2000年
平成12年
12月2日

我が家の紅葉

No.1

最近のクルマ事情

   9/15 

 最近、4輪駆動車(4WD)4駆ってやつですな、多くなりましたな。若者の乗っている5割いや9割はそれでしょう。かく言う私も昔はPATROLってー、幌付きに乗っていやした。
 東京で9年間働いていたときの退職金の70万円、そのうちの50万円をはたいて、中古を買ったわけですが、4,000ccもあり、ガソリン代が高く(リッター3Km)背広で乗るとススで真っ黒になり、クラッチが堅くて途中で足がつりました。ーて、馬鹿なわけです。
 デー、最近の4駆野郎は幌付きなんかに乗ってネーですな。しかもエアコン付きのやつで、でっかいのにふんぞり返っているわけヨー。ところが、そんな奴は殆ど、げんのうもねじ回しも使えネー、ひ弱な蚊トンボなのヨー。どうしてそんなデカイ、油を大量に使うのに乗るのか?昭和20年生まれとしては、全く理解できない。300万か400万以上のクルマにのる、オメーらはいったい誰のお陰でそれが出来る時代に生まれたのか、誰の犠牲の上に出来るのか考えてもらいたい。
 地球は、日本は、いつまでも平和・快楽・惰性・寄生ではいられないのだ。

No.2

最近のクルマ事情
 (その2)

9/15

 最近のクルマ事情(その2)におつきあい下さい。
最近、クルマのライトに気がつきませんか。
信号待ちで待っていると、必ずといっていいほど、後ろのクルマがライトをつけっぱなしにして眩しいこと限りないワケ。中にはビームにしてるのではないかと思うような、高輝度のライトを使っている。
 なんて、はた迷惑な野郎だ!!とおもってたの。増えてやがる。って思ってたの。
そいで、このあいだ、知り合いにその件を話したら、「イヤー、所長、それは、ライトを消したり付けたりすると寿命が短いって、テレビで言ったからじゃないんでしょうか」っていうじゃない。
 驚いたねー。人の迷惑、思いやりもわからん野郎が増えたと思っていたら、それ以下のレベルのケチ野郎が増えていたんだったとは・・・・・

No.3

テレビと想像力

9/15

 最近、いろんな、シーン、場所、ジョブで感じることがあります。
それは、今の人々が、想像力、予測力がない、足りないということです。
いわれた事しかできない、やれない、一つのポイントから2〜3の大事な事柄を考えることができない、考える意志もないのは何故か・・・・私は、ずうーと考えてきたのですが、ハタと判ったことがあります。それはテレビと深い因果関係があるのでは?ということです。テレビは視覚的メディアとしては素晴らしいものです。
 しかし、そのビジュアル性は、非常に刺激的であり、同時に、思考を閉じさせるくらい圧倒的なパワーで我々に迫ってきます。聴覚のみに訴えかけるラジオとは比較になりません。ラジオはまだ、想像力をかき立てる要素は持っています。
 テレビ世代と想像力の欠如の関連は、今後データ検証すると面白いと思いますが、どなたかやりません?。

No.4

人の育て方(未完)

 

No.5

鎌倉の春

(馬酔木、土筆、しゃが)

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