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・2次被爆(黒い雨/入市被爆)その後の土地や水そして人の内部汚染量は66年経ても判っていない | ||||
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これについては多少建築を齧って地震について少しは言える私としては、日本国中どこも危険であり、また耐震という技術、理論で安全な方法は無い、と残念ながら云わざるを得ないのがホントのところです。結論としては→原発の安全な立地場所は日本には無いと言える。 | ||||
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放射性廃棄物の量はどうあれ、無害になるまでの期間は、種類別には色々あるが、テレビによると約10万年位掛かる様です。この年数はメンテがどうとかいう年数にならないでしょう。精々、セシウムとストロンチュウムの60年〜100年くらいが人間が関与出来る期間であり人間的スケール時間でしょう。 | ||||
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確か、小5の時だと思いますが、東京の晴海の「原子力の平和利用展」という催しに、父に連れられて行き、そこでマジックハンドという機械に触れた事の記憶が僅かにあります。後は、横須賀の線路下のトンネルに長崎の原爆の恐ろしげなポスターが貼られていた記憶です。確か長崎の永井 隆博士の「この子を残して」という本か映画か演劇かのポスターです。米国の占領軍の兵隊が、我が物顔に闊歩する横須賀の街で! | ||||
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今日、8月4日は発病以来2年目になります。 | ||||
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ようやく、蝉の代表のミンミン蝉、ニイニイ蝉の鳴き声が聞こえてきました。 | ||||
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今年は蝉の鳴き声が聞かれませんが、やっと、蜩がまっ先に鳴き出しました。 | ||||
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またインドネシアからの帰国のハツ殿が例の「コピ・ルアーク」をお土産にくれました。 | ||||
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家人によると扇が谷の夏祭りが今年は復活するそうです。マッサージをお願いしている宮田先生に話したら「お祭りを止めてからお年寄りが亡くなる方が多くなって止めるべきでなかった」といわれ、止める直前の祭りは、家人達が、最後という事で、母親主体で祭りを仕切ったので、私も何かとできる事でと、我が家の池のザリガニをたらいに容れ、屋台の前の広場で子供達に釣りをさせたりしました。お祭りはやはりコミュニティ(私には好きな言葉では無かったのですが)には必須のアイテムでしょう。 | ||||
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去年の5月に病後、初めて釣りに行きましたが、今年もまたハツが誘ってくれて、同じ三戸浜でイワシをやろうと云う事で出かけました。結構、風が強かったのですが、ひこいわしやひいらぎのような子アジ、そして海たなごまで釣れて、案外の大漁でしたが、やはり餌付けも彼におんぶで、今回は車椅子を持ち込まなかったのですぐ疲れてしまい釣果の殆どはハツの釣ったモノです。またネコもいてそれなりに楽しかったです。
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また、例のハツの話になりますが(何しろ私は行動半径が狭くなり、話題にも乏しいので)、出張先のインドネシアから それはとんでもない、お土産を貰いました。コーヒー豆ですが、前にもインドネシアからマンデリンを貰いましたが、彼ほどはコーヒーに熱をいれていないので、お土産の豆が溜まっているのが現状です。 |
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現場は今までよく行っていたのですが、自分の写真が無い事に気が付き、初めて所員に撮ってもらいました。 | ||||
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また、インドネシアに出張しているハツに、福島原発の情報を仕入れようと週刊誌を買い込んだら、週刊ポストに仲々良い話が載っていたので、紹介したいと思います。 | ||||
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もう何年前になるのでしょうか? 朝起きがけにテレビを見ていると、大きな鉄道事故のニュースです。現場の実況も中継し、事故の直後の様です。尼ケ崎と聞いて、昔、手伝った尼ケ崎総合文化センターを思い出しました。「ビル風」の分析でです。そして、不思議な事に、近くにスピンドル社の工場があったはずと思ったのです。でも仕事で一度も一緒した事は無く、でも中継を見ていると、工場の人が何人も壊れた電車の車体の上に乗り、大きなスパナのような道具を持って救助作業をしているのが、妙に眼に焼き付きました。 | ||||
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4月の中ごろから、ようやく雨の降る気候になってきたようで、今年は全然カエルの声を聞いていないと思っていましたら、連日連夜にカエルのケロ,ケロの合唱です。 | ||||
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こう書くと、あの問題のJR西日本が引き起こした重大事故と、スピンドル社が一蓮托生のように聞こえますが、全く逆で、事故現場にあったスピンドル社の工場の人たちが、その際、献身的に乗客達を救助したのです。それが多分、私だけが、テレビの中継画面から咄嗟に判り、「スピンドル社はえらいのです」。それが何となく伝わり、この横浜の小さな設計事務所を、兵庫から、スピンドル社の社長がわざわざ訪ねてもくれたのです。ですから「スピンドルはえらい!!」と言ったのです。( ←今日の二ユースから) | ||||
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と言わないでくれ! |
特に、ある分野のトップリーダーとしての立場の方々(政治家、学者、技術者、教育者、ある分野の専門家etc.)は物事の結果に対して、安易に「想定外」とか「予想外」とか言わないでくれ。日頃から人々を引っ張っていかざるを得ない立場であるから、死んでも、口に出すべきではない。 | ||||
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東日本大地震大津波から1ヶ月経って疑問であった福島原発の件で私の中で判ってきたことがあります。それは原発を造る中で、ひとつも危険に対する措置のシミュレーションがされていなかったのではないかという確信です。 | ||||
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昨晩の地震は余震であるらしいし、3/11の大震災以来の最大の余震だそうで(マグニチュード7.1震度6強)です。その御陰で原発のバックアップ電源の話がやっとマトモに正面切って出てきた。女川原発の冷却システムの商用電源3回線のうち2回線がダウンしたが、1回線は生きていたので、冷却は無事行われている云々の話です。これこそがマトモの話で納得できるモノです。どうも東北電力は良心的施設設計がされているなーと、いうのが率直な感想です。震源に一番近くても、地盤面高さは福島原発に比べて高い立地のようで、それもちゃんと考えられていた訳で津浪の被害を最小限で済んだと言う事でしょう。(←2011.3.31朝日:女川原発記事) | ||||
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私が学んだつたない知識では重要度の高い建物、災害時でも機能を維持せねばならない施設では、普通電源の確保では2回線受電をし、更に復旧までの時間を考慮した非常電源を設けることは常識でありましたが、福島第一原発ではそう言うバックアップシステムをとっていたのでしょうか?疑問です。非常電源の話ばかりで肝心の定常商用電源の復旧の話が出てこず、非常電源がダメになったのみで定常電源の復旧の話が無いのはおかしい。何故なのか? | ||||
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家人の話では、世間はどうやら買い占めに走っているようで、電池、パン、カップラーメンがないらしい。 石原慎太郎は、そこを「日本人の我欲」と表現している、しばし、さすがと思っが、やはり少し問題発言だろう。ここ鎌倉は第1グループで1日に2回の停電を経験した。戦後の小学校以来の経験をした。 | ||||
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ここ、三晩共、日代わりのたびに同じような福島原発の危機を感じてきて、もういい加減にしてくれと思って寝たが、今朝は(3/15)もっとひどい状態だ。何でもなっかた4号炉の使用済み核燃料量が燃えているらしい(確か修理中で運転していなかったはずのもの)。何しろ東電も国の原子力安全院も見てると酷過ぎる。どうも現場にいる人数が不足しているようだ。どうも冷却水が注入出来ていないのは注入ポンプの燃料が空だったせいらしい。テレビでは無能な原子力安全院からもっと無能な東電の連中に交代したがこれがひどい。 | ||||
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昨日は懸案の建築士の3年に一度の定期講習の日です。朝は約から夕刻まで丸一日です。例の姉葉の事件から建築士の再教育が制度化された訳です。父も望んだことですがこの歳になっての長時間の講議と試験は辛いことも確かです。疲れて朝からぼんやりと机に向かっていると、下の法から地震の揺れです、段々それが大きくなり、これはヤバいと言う感じで庭越しに見える2階の建屋は大丈夫かと見ていると凄く凄い揺れです。実は、我が家の2階は、金閣寺や銀閣のように2階部分が窄まっているので、構造的に不安があったのです。 | ||||
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何度も此の私の日誌めいた記録のタイトルを変更してきました。「松島の独り言」ー>>「松島の遺言」ーー>「松島の一期一会」ーー>また「松島の遺言」という変遷を経てきましたが、やはり大病をしてみると「遺言」というのはいかにも切実です。特に初めての方はギョとされるようで、私はそれなりにワルぶっての気持ちがあったのですが、やはり最初の「独り言」に戻ろうと思います。丁度、世間でも「twitter]が、おおはやりですので。宜しく!! | ||||
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カナダの友より松茸が届きました。カナダの友とは、中学以来の同級生で、ここにも常連化しているハツとも同級です。彼は卒業してすぐに結婚、またすぐに外国にということで、今やバンクバーで大学教授として定住しています。お見舞いの感じで太い松茸が、好い香りを振りまいて届きました。彼は眼に障害が出たようで、心配していたら大分良いようで、運転もできるので新しい車も仕込んで夫婦で楽しんでいる様です。 | ||||
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ホームページでも御案内致しておりますが、私の「独り言」でもお案内致します。
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今日は21日ということで、我が家ではお精進の日です。何のお精進かと言いますと、小か中学の時、母が、仁之もそろそろやるかい?と聞かれたので「なにが?」ということで、どうも当家では、弘法大師の月命日の21日は、お精進と称して、朝/昼の食事は生ものを採らない習慣にしているようです。 | ||||
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ここ数年、8月15日は御盆ということもあり帰宅してすぐに一人で客間の盆提灯の明かりだけで冷や酒を飲む習慣になっていましたが、今年はその客間が病室で、盆提灯も飾れなかったのですが、季節というのはやはり正直で、いつ夏が終わるのかと思いきや、本日秋の虫(コオロギでしょうか)の地鳴きが聞こえてきて季節的にも秋らしくなりました。 | ||||
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何時から無くなってしまったのでしょうか? 原爆の日のサイレンの音が(確かam8:15にサイレンが鳴り、日本中が黙祷したはずです。)8月6日だけでなく、9日も8月15日の終戦の日も無くなってしまったのは、何故どうしてでしょうか? 8月6日だけでも、いや長崎の9日も復活したいモノです。 | ||||
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今日、鎌倉の花火をケーブルテレビで見て、まず地デジのせいで画像がきれい、水中花火も最後に見た中学の時よりカラフルで水面に映え、凄くきれい(その時は水中がモノトーンで明るく見えるだけ、今はキラキラが特に綺麗にカラーで映えます)、ズーッと何十年も8月10日のはずが、今日になっているのは何故?(たしか八幡宮のぼんぼり祭りと重なる年もあったはず)。いずれにしろ、50年ぶりに見る鎌倉の花火はきれいのひとことでした。最近は不景気のせいで、打ち上げの本数が半減している様です(・・・・花火はテレビに限ると思いました!?。家人から去年のその時期、私は集中治療室で明日をも知れぬ感じで、生きた心地がしなかったそうです) | ||||
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また例の青山氏からのホタル見のお誘いです。実に有り難くて,涙ちょちょ切れそうなんですが、夜暗くなってからですので、私にとってはまだ不安がありましたので断念致し、息子にその情報を知らせたら早速、会社から自宅への帰りがけに立ち寄って、それなりに良かった様です。40数年前のホタルの話もお読み下さい。(→2001年7月7日の記事参照)。 | ||||
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再びの鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏と |
5月5日の鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏の写真は、私が撮影したモノでなく、家人が携帯で撮ったモノで、今日ようやく自分も現地までいって撮影できましたのでここに掲載します。
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去年の6月22日のこのブログに掲載した「釣りとシオラレオネ」に書きましたが、中学以来の友人の青山氏が、何とホテルのベランダから釣りをしている様ですので、余りに気の毒になり、つい、今度帰国したら一緒に釣りに往く約束をした訳ですが、その後すぐに私が病気になってしまったので、その話も出ず仕舞いで、早や1年近く経ってしまった訳ですが、先週からお誘いがあり、週末かな−と思っていたら月曜の今日です。釣りの道具も大慌てで支度して、連れられて行った先は、学生の頃よく利用した三戸浜(横須賀の武山の先)です。かれこれ30年ぶりでした。そもそも最初は私が付き合うようなかたちでしたが、すっかり餌付けから、釣った魚をはずすのも、彼におんぶに、だっこでした。
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今日は、この遺言を見ている方から初めて、はげましのメールを頂戴致しました。その為だけではありませんが、この病気になってズうーと気になっていることを書きたいとおもいます。(特に2万3千人の応援のお言葉、ありがとうございます) | ||||
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いつも往く床屋さんで、とんでもないモノに、また出会いました。フキと卵と酒、梅で造る脳卒中の特効薬のカルテ(叉はレシピ?)です。以前私の父が脳硬塞になったのを心配された長野の今は亡き恩人の亀井三四子さまが、仁之さんが心配だからと、この特効薬のレシピを戴いたことがあったのです。30年以上前のことです。私は懐かしくて嬉しかったのですが、こういうモノがすきな家人が妙に冷淡で「インチキよ!」って言ったので、何かと思ったら、既に私に飲ませていたことが、その時、判りました。
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数日程前のnhkのクローズアップ現代で夫婦別性制度について、いろいろ取り上げられていました。その是非はともかく、この類いの事は、今後思った以上に重要になると思います。日本の習慣風習の変化(つまり殆どは民法に関する事柄)をどうするか?ということです。時代の変化に合わせて、正解はホントに難しい、日本はそういう問題に常に失敗してきています。簡単に女性の自立に向けてとかの問題ではないような気がします。右翼的だとか、進歩的だとかの問題でもないはずです。民法軽んずべからずです。(未完) | ||||
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4月4日の小田原の学校現場の事(ポカリスエット)から思い出したことがあります。昔、情報化ビル(日本初のインテリジェントスクールと言われた)にたずさわったとき、当時パソコン教室とその教育のソフトをどうするか?ということでしたが「CAI(computer
asisted/aided instruction
)教育ソフト」といわれ、当時は、花々しく叫ばれ、いろいろ期待がもたれたものです。これもやがて、出来る限界が判明し、教育の根幹にコンピュータが係わるのではなく、ワード/エクセルやインターネットやマルチメディアの一部を活用しつつ教育ツールとして発達してきた。これは私の若い頃に失敗したことと同様ですが、当時はコンピュータにクリエイティブな事をさせるのは不可能と言うことが、今のように当然であると判らなっかった為です。 | ||||
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日曜のテレビ東京「ルビコンの決断」の再放送を見ていましたら、大塚製薬のポカリスエットについて放映していました。私の世代ですからいわゆる清涼飲料の知識に乏しいし、まして国産メーカーとは思ってもいませんで、どこか外国製だと思っていましたが、 何しろポカリスエットはエライ! それはなぜかと言うと、今から約10数年前、小田原の学校現場でいつものように型枠叩きにいそしんでいたのですが、その時は丁度盛夏でコンクリ−ト打設の下は蒸し暑く、最早午前中でへたばってしまったのです。そこで何か冷たい飲モノをと、自販機で偶然ポカリスエットを選んで飲んでみましたところ、不思議に僅か数分で疲労回復した実感がえられました。今まで何を飲んでも、すぐそのような実感が得られることは一度もなかったのですが。と言うことでO型のお節介の私ですので、現場の所長に早即、「ポカリスエットを飲んでみな!」って、命じたわけです。数日後「どうだった?」と聞くと、常になく興奮と尊敬の眼差しで「イヤー、凄く効きました」って返事です。私には良く効くスポーツ飲料です。皆さんも疲れた時には有効です。 | ||||
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道元禅師の生涯 |
家人が最近気を使ってくれて、自宅2階の地デジのハードディスクに道元の映画が録画してあると言ってくれています。娘が1階の私の部屋にDVDプレーヤーをセットして道元の禅をレンタル屋から借りてきてくれまして、念願の映画「禅」(道元禅師の生涯)を見ることが出来ました。見たら大興奮です。
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今週は、津波で騒いだと思ったら、昼のニュースでは鶴が岡八幡宮の有名な大銀杏が根元から倒壊したニュースです。そのせいで、ヘリコプターが朝からブンブン上空を飛んで大騒ぎです。小町通りもいつになく込み合っているようです。僕の小中生の頃の知識では、確か、今の大銀杏は、実朝公暁の時のモノでなく、江戸時代に再建された銀杏だと記憶していましたが、新聞テレビの報道では、確かに千年以上の樹齢だったそうですが、一寸、私には疑問です。 | ||||
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今日は東慶寺の井上ともぞう氏から境野先生の出版祝いの集まりのお誘いがありました。実は、以前にも記しましたが、圓覚寺の龍隠庵で月1回、先生の講義を戴いていたのですが、去年の8月より欠席せざるをえずにいたのです。何しろ龍隠庵は山の上にあり、しかもその階段は急で狭く、私では危険です。そこいらへんをきめ細やかな、ともぞう氏が配慮されて、北鎌倉の鉢の木新館に招待してくれたのだと思います。ですから、僕としては最終的には椅子席かどうかを確認するだけで良かったのです。北鎌倉の近所のハツも誘って、参りました。その御陰で往き帰りを、タクシーで、初めて家人や所員の付き添い無しに3、4時間、外で一人で過ごせました。 | ||||
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今日は少しショックなことがありました。格安で借りていた電動ベッドを取り上げられたのです。理由があるのです。私の介護度が2から1に認定されたからです。2から1へなったことはそれはそれで嬉しいのです、身体の機能が改善されてきた訳ですから。でも、敗戦直後の貧しい日本を知っている者としては、寝具を剥ぎ取られることは、頭で判っていても、ショックなことです。私が小さい頃は、日本中が皆、貧乏で、寝具を剥ぎ取られるという話は、日常会話で始終聞く話でしたから、ショックなんです。今の人はそれ程感じないでしょうが、認定の決定も2、3日前で直前でした。介護用品の店の方も、気の毒がって、型落ちで中古品の電動ベッドを手配してくれていたので、事なきを得た訳です。 | ||||
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1.土筆 正に今年は3月1日に沢山芽が出たのに気付きました | ||||
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ヒヨドリ 肥後ツバキ 雛人形 |
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数日前の沖縄の地震津波予報の後に、50年ぶりのチリ地震津波予報でテレビが大騒ぎです。50年ぶりの津波ということで思い出したのですが、確か、中学三年生の時、田浦の長浦巷に(戦前の日本海軍の潜水艦基地に)学校があったわけで、その時、津波に遭遇したわけで、被害はなかった記憶があります。 | ||||
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先々週から近年にない寒さになっていて、雪も降り、梅のつぼみも仲々大きくならずでしたが、2、3日前から、あたたくなり、つぼみもふっくらふっくらし、気が付いたらもう何十と開花しており、目白のはずなのに今日は2羽のウグイスが梅の細枝を揺らして、花の密をついばんで可愛いモノです。 | ||||
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今日は、古くからのクライアントである某私学へ新年挨拶と4年前からスタートしているジョブの仕事始めの打ち合わせに、担当チーフと行って参りました。これまで、当該既存の校舎の修繕、リニューアルと携わってきたものですが、やはり最小限の改修と保全だったなーと体が不自由になって感じます。打ち合わせを4階の部屋から2階へ変更してもらい、やっと階段を2階まで上がり、10数名の先生方と最終段階に近い打ち合せが出来ました。スタート当初から私が担当でしたのでスムーズに打ち合せが出来ました。 | ||||
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(急性期) |
急性期の際のことに付いてメモを見ますと、8月4日夜発症、電車で帰宅。何故か道路の左側の垣根に肩をこする。腰が痛く、ギックリ腰の再発と思ったので、近所のカイロプラクティクへ行かなくてはと思い予約する。 | ||||
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今、パソコンの先の庭を見ますと、いつものヒヨドリ2羽とシジュウカラ数羽とメジロ2羽のグループが来ていましたが、梅の小枝すべてに、早や小さなつぼみが付いて春の訪れです。今日は、正月3が日も過ぎたので、此のブログを借りて、カナダのタケへの賀状にしたいのです。 | ||||
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いよいよ、予告しました私の闘病記を記していき、少しでも余人の参考になればという思いです。 | ||||
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大晦日に 紅白歌合戦のせいで、昨日も言いましたが、唄の環境に染まってしまったようで、(パヒュームが仲々いい)、「ちあきなおみ」のCDから私の持っている唯一の鶴田浩二のCDも再生しだしたわけで、その曲が特に「蒙古放浪の歌」です。 | ||||
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退院して約1ヶ月が過ぎ、私の闘病記めいたことをのせることをお約束しましたが、案外、日常の生活が忙しく、すぐ新年の正月です。紅白歌合戦のせいでふだん音楽や歌に縁の薄い私でも、唄の環境に染まって、大晦日の夕方に録画しておいた「ちあきなおみ」に涙しながら、新しい唄を知り、更に深いファンにはまったのです。 | ||||
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平成22年 正月 あけましておめでとうございます 左をクリックすると賀状が現れます | |||||
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約3カ月ぶりで退院できました。ホントに様々な方のおかげです。ただ感謝のみ。 | ||||
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急性期対応の横浜栄共済病院から回復期リハビリ対応の鎌倉聖テレジア病院へ転院しました。 | ||||
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今日から治療が終わり、個室に移れました。夜勤(終夜)の看護師さんが「誰;だれ」と挨拶に見えました、これは患者にとっては非常に大事なことです。夜はトイレとかいろいろ不安なことがあり、夜勤の看護師さんの顔と名前がわかることは重要なことといえます。これからは手帳に”一期一会”として記録しようと思います。ですからこのブログめいた日誌も「松島の遺言」から「松島の一期一会」に変更していきます。 | ||||
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横浜栄共済病院の集中治療室(SCU)へタクシーで入院しました。約1週間の24時間の点滴と酸素吸入の治療でした。 | ||||
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この春からの理不尽とも言える施工会社へのいじめで、現場の所長連中の元気が最低になっているので、元気付けに飲み会でもやろうと、会社のそばの蕎麦やではげまし、なぐさめの飲み会をしました。春にもやったのですが、気分は不調だったので再びの飲み会でした。 | ||||
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中学以来の友人のハツですが、定年以降、自分で仕事を見付けて、時々海外の仕事をやっているのですが、少しは暇なときがあるらしく、釣りの誘いがあるわけです。しかしこちとら暇無しの63才で,いくチャンスがないままにしたら、今年はシオラレオネの仕事で、メールによる近況報告では何とホテルの窓から釣り糸を垂らしているらしいのです。帰ってきたら一度つきあいましょう。(シオラレオネは私はよく知りませんが、世界の最貧国の一つのようで、医療・電力状況が悪いようです。彼は電力のインフラ整備のことで出張しているようです。シオラレオネのためにがんばれ!!) | ||||
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梅 |
今年は梅が落ちるまえに収穫しました。 | ||||
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老眼になってこの方、夜寝ながら本を読む50年来の習慣が出来なくなり、寝るのに苦労していたのですが、例の延々と続いている「居眠り磐音」の連続時代小説にはまってから、文庫本も読めるようになりました。 | ||||
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世界中が百年に一度の不景気だといっていますが、ホントにそうでしょうか?確かに世の中、不景気になっているが、それは世界中が一つの情報によって動かされているからだと思います。情報化社会・ネット社会・グローバル化の弊害ではないでしょうか。私は以前からパソコンそのものの弊害に気づいていたのですが、どうでしょう。世界中が同じパソコンソフトを使い、同じセルのなかに入力しその結果について無条件無批判にその答えを信じることが?!! | ||||
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先生の奥様の葬儀の通知が届き、取る物取りあえず長野までの「浅間」に飛び乗りました。御遺族は内々でとのご意向でしたので、お花の用意だけお願いしたわけですが、やはリわたくしの人生に於いて、もっとも恩になった方が、亀井幸次郎先生と奥様の亀井三四子様です。先生は父と親しく、同じ日大教授で、防災工学では日本でも著明な方でした。 | ||||
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例の姉葉の件以来、建築界に行政のおせっかいとも言える規制の強化が増してきた一環で、設計事務所の継続には欠かせない管理建築士の資格が今年から講習と試験で認定ということになったのです。それまでは事務所の長としての経歴と経験を申請すれば、済んだことですが、全て不信の世の中です。講習は勉強でありそれは当然ですが、長時間の講義の後、疲れ切った60の年寄りに試験とは酷です。目も霞んだ年寄りには!! | ||||
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これは貧しい御老人が、正にゴミ捨て・姥捨て、にあったと同じことと思います。 | ||||
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2週間位まえにはもう、土から芽が出ていました。 | ||||
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2週間まえ、今年始めての鳴き声を耳にしましたが、少し例年より遅いなー。 | ||||
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山崎一哉君が最年少で気象予報士になったニュースに接しました。私の中学の後輩になります。ですから、わがことのようにうれしく、また心配になります。このまま、すこやかにのびやかに育って欲しいという余計なおせっかいですが。 | ||||
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また境野先生の講座に出席できました。密かに期待していた先生の新著作「道元「禅」の言葉」が三笠書房からでたようです。早速、書店に行き買い求めようと心に決めたところ、ナンと先生よりすぐ一冊づつ戴けました。 | ||||
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今日は、5人で相続している田舎の土地の最終売却に滋賀県の甲賀市まで行ってきました。父の残した先祖の土地です。9月より話がありトントン拍子にまとまりました。初めていく土地です。のぞみで京都まで(ナンと2時間半です)それから逆行し草津から1時間2本の柘植亀山行きに乗り換えて三雲というところで下車。不動産の社長が迎えにきてくれて約30分で処理終了。再びトンボ帰りで帰宅です。9時に出発して夕方6時になりました。丁度、京都付近は紅葉まっさかりでしたが、全て車中からの眺めでした。でも田舎の土地の処理が一つ出来てホットしているところです。まだまだ処理せねばならぬことがあるのです。生きている間に出来るかな?。 | ||||
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最近、暗い話ばかりで、少しためになる情報でもと思っていましたら、NHKの「ためしてガッテン」でアルツファイマーの予防をやってましたので、かいつまんでその要旨をお伝えします。10年以上前の私の知識ではボケの主原因は脳梗塞が8〜9割と思っていたのが、最近の研究ではアルツファイマーが逆転し4割になっているようです。その原因も日々解明されつつあり、大脳皮質にβタンパクという成分が溜まり脳の司令機能、分析機能、記憶機能に障害を与えて認知障害を引き起こす様です。それもだいたい50才頃から溜まりだし約20年間くらいで発症するようです。その予防には1.有酸素運動(毎日20分)2.積極的コミュニケーション(会話)3.生活習慣病の予防 の3つが効果があるようです。そのほかに漢方薬(抑肝散ー妄想いらいら怒りにきく)がかなり効く・・・が、今の最新知見のようです。 | ||||
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「しっかりと飯を食わせて陽にあてし布団にくるんで寝かすしあわせ」 これは讀賣新聞の編集手帳欄に載った歌人、河野裕子さんの短歌です。アフガンの伊藤和也さんが無事に戻ったら腕の中に抱き留めたいという、ご両親の強い思いを表現している句でなかろうか思います。またそれは日本全国の親が等しく願っていたことでもあります。また犠牲となった和也君も志として、アフガンの村の家族の風景をそう願って、実現したくて、NGOの活動に身を投じたのでしょう。讀賣の編集子の選んだ句は正に的確であり、また親の、特に母親の子に対する愛情と力強い自信とを表現した素晴らしい句であります。うろ覚えですが、ご冥福と共にここに掲載しました。 | ||||
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かれこれ50年ぶりの先生は、お若くまたやさしかった。以前も深い愛情と厳しさとがありました。先生に毎朝の「奧の細道」の素読が印象深かったと申したところ、大変喜ばれました。先生はネットで調べたところ、日本の哲学者のお一人であるようです。円覚寺の講義は老子荘子についてでしたが、今年後半は道元について執筆、出版されるようですので、つい鎌倉の道元碑の自慢をしたところ「エーッ」って仰け反って驚かれて、講義の前半は先生と私のやり取りに終始してしまい、他の方々に申し訳なっかたですが、楽しい楽しい時間でした。 | ||||
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6月13日 |
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昨日、ハツからの転送メールで境野先生が円覚寺の龍隠庵に6月16日(月)の1時に見えられるという情報。勿論、万難を廃して伺うつもりです。東慶寺の井上喜ちゃんからの転送です。私が生きている内に是非会いたい方です。そのわけはこの松島の遺言の平成13年9月14日の田毎の月に書きました。13日の金曜日にナンと良い知らせでしょう。 | ||||
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久ぶりに、相洋中高等学校のスカイホールのVPを点検する機会があり、行って参りました。10年前に完成させた校舎ですが、いま改めて見直しても、我ながら凄いの一言です。ハイビジョンの立体映像です。当時、ハイビジョンもやり尽くし何か生徒に新鮮な驚きを与えたいというのが私の考えでした。それで当時、NHKも見学し3Dを実現させたのです。その映像ソースが「やませみ」です。今更ながら新鮮な驚きです。毎日でも見に来たい。もっと生徒達に何回も、沢山の父兄にも見てもらいたい。情報をあつめた訳ではありませんが、リアー投影のハイビジョン3Dは滅多にはないはずです。立体映像とはその映像の背中が見える、感じられることも、当時発見出来たことです。 | ||||
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また春の便り(好物のフキノトウ)が届きました。感謝です。私のために、休日に、聖山という山に入って採っていただく、姿が浮かんできて、その心と想いに、唯、ありがとうです。今日は天ぷらの用意が出来ないので、味噌汁の中に香りを入れてもらいました。 | ||||
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いつもの年は山桜が先に満開となり散り始めるとソメイヨシノが咲き始めるのが例年の様子ですが今年は逆になった気がします。でもそのお陰で遠くに見える里山の風情が永く楽しめる結果になりました。 | ||||
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今年はウグイスが少し遅いように感じます。 | ||||
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25才から社会へ出て約十年近く土日の無い勤めで横浜に来ても土曜を休まずにきて今年初めて自分の意志で休みましたが、休むと身体がラク!!ラクです。 | ||||
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ツクシは順調に芽が出ましたが、日当たりと日影では出方が違うようです。日影は未だ出ていません。 | ||||
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以前に日本人の劣化について少し触れましたが、最近そのことがとみに感じれます。公権力を持つ、特に役人に。彼らは多分若いときは理想に燃えて職に就いたのでしょうが・・・。勿論、劣化の割合が増えたと言うことで、立派な人もまだまだ多いと思いますが、多勢に無勢の感がしてアキラメの境地であるのは私だけでしょうか? | ||||
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御存じですか?滋賀県の寺の多さを |
昔気が付いたことを最近また思い出し何故かな?と思っていることがあります。それは滋賀県の異常に多い寺の多さです。地図を広げてみて特に湖南に寺が多いことがわかるでしょう。京都や奈良より密集しているのです。その理由をどなたか教えて戴ければ幸いです。 | ||||
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ご存じですか?喫煙指数 |
私も還暦を過ぎた頃から、朝起き掛けにタンが絡み苦しいときがあります。変だなと思っていたら物の本に喫煙指数というのが掲載されていました。喫煙指数=一日に吸う本数*喫煙年数 で値が800以上になるとCOPD(喫煙症)400以上になると肺ガンの危険が高まる様で、私は800以上でタンがからむ立派な喫煙症のようです。 | ||||
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何で満月でない十三夜を日本人は古来めでてきたのか不思議です。十五夜は中国からきた風習の様ですが十三夜は日本独特のようです。十五夜だけみる片月見が忌み嫌われた位ですので。このことについて私なりに考えたのですが、これは日本人の文化・精神・心からくるものではないかと思います。後、続く
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今年びっくりしたのですが、青山、有楽町、東京八重洲等に行く機会があって随分変わったナーという印象です。それは実は今年の東京マラソンの中継で感じたことです。走る選手と共に街道筋が映し出されるのですが、古いあばら屋の店が一軒もない。皆タイル貼り又は石貼りの店構えでした。少し前の東京マラソンでは古くなった店や空き地がチラホラ見られましたが。ところがその後大阪マラソンをみたらバラックと空き地も映し出され、東京と地方の格差って言うやつでしょうか? | ||||
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日本建築家協会の「登録建築家」の更新があるのですが、同様の制度で専攻建築士も登録しているので、年寄りには荷が重く、登録建築家のほうはすっかり諦めておりましたところ、建築士取得後30年以上のヒトは特別に集中講義が用意されているという有り難いメールを貰いました。早速それを受けに3日間東京に通いました。その講義やシンポに出席して、全てに鬱状態にあった私めも、アクティブなお話のお陰ですっかり元気になって横浜に戻りました。 | ||||
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ここ数年、我が家では十五夜が行事化しています。今年も十五夜の準備を、って言うことで、ススキを物色していて良いのが見つかったのですが、ナンと3日前にゴッソリなくなっておりました。考えて見ればススキは殆ど栽培などでなく、野生のものだと気がつきました。9時過ぎに帰って、食事を済ませ、やおらお供えをしている客間の縁側へ徳利を持って急行。ススキは穂がふさふさした極上のものを家人が決死の覚悟で手に入れたようです。午後10時過ぎでしたが、今年の十五夜の月は特別よかった。雲も無くぼろ屋も原生林の庭も適度に隠して、孟宗竹が風に僅かに揺れ、その上空に満月が光っておりました。 | ||||
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今年の夏休みには3校で4つの改修工事があり、その3つは私が担当でしたので、結構忙しく過ごした訳ですが、無事完成し、ホット一息付く間もなく、また台風です。自他共に許す?台風ウォチャーとしては早くから追跡してまして、今度も大したことない西の方へ行って北上だろうと、たかをくくっていたら日一日と強くなり、コースも鎌倉直撃のようです。大慌てで、例のごとく2階の庇にあがり、雨戸を敷居ごと5寸釘で打ち付けたのが、9月4日の朝です。9月6日の当日は、仕事もそこそこに4時に帰宅し、1階の雨戸、庭の排水桝の蓋も揚げて一応の備えをし待ち構えました。段々接近するに従って、我が家は、台風の中心の右側に位置し(一番風が強い位置)、殆ど諦めの境地になっていました。夜中の2時3時になると2階の破風のガラリから風がまともに入り、造り付けの天井照明のアクリ板が不気味にバーン、バーンと音を立て、生きた心地がしない数時間でした。さすがに5時には寝入り、朝起きてすぐ点検すると、幸いなことに屋根は無事で、唯一隣家との境の建仁寺垣が5M程倒れているだけで済みました。 | ||||
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例の5、000万人不明年金リストの件で、誰も言っていないし気がついていない重大なことがあります。それは確か2,3年前に年金の制度改革があり、百年安心の年金とかいって私の年金受給年齢も65才からになってしまいましたが、その時の改革の根拠になっていたのはどの数字で、不足になった金額は何を根拠にしていたのか、5、000万人の未統合受給者の財源は一体どうなっていたのか、改革の根拠にどういう風に算入されていたのか・・甚だ疑問ではありませんか?? | ||||
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またまた松島の何とかシリーズです。5月のそんなこんなで、また日本の行く末に想いをいたして風呂に入っていて、まともなヒトは一体いま何人くらいいるのだろうと勝手な計算を試みてみますと・・・12万分の1になったわけです。日本の人口1億とすると約8、000人チヨットです。いたく納得したわけです。まともなヒトとは何も仕事が出来るヒトの意味ではありません。 | ||||
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久しぶりに予測-3です。 首相の芽はもうない。夏の参議院選挙後はないと思う。それにしても彼は何か危ない気がします。 | ||||
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今日はNHKで藤沢周平のドラマがあったのですが帰宅の時間に間に合なかった。周平からふと連想して35年ぶりに「周はじめ」という作家を思い出しました。高校生の頃、山の雑誌で「アルプ」という藁半紙に毛の生えたような雑誌ですがそこに、北海道の原野にいるカラス達の生態が生き生きと綴られ大変面白くまたその文体も媚びずにいてすっかりファンになってしまったのです。その頃のアルプには串田孫一、つじまこと、畦地梅太郎、深田久弥という面々が執筆されていたし挿し絵もカラーでなかなか良かったと思います。すぐ自宅のパソコンで「周はじめ」で検索するとまず周はじめ記念館がヒットしました。私より年寄りだからと、見てみると何と温泉旅館の親爺が篤志で造った記念館のようで、アッと言ってしまったのは、ナンと去年亡くなられてしまっていたのです。是非死ぬ前に訪れたい場所の一つに別海温泉ホテルが加わりました。 | ||||
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3寸アヤメ |
今年はタケノコが不作で3本位しか収穫無しです。去年はのびたタケノコの始末で往生していたのですが。土筆は豊作でした。3寸アヤメも順調な生育でした。藤もきれいに咲きました。 | ||||
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これまで私の父のことは少しこの遺言でも触れてきましたが、母については何も触れ無かったと思います。10才位には母は40才後半で、そのころの私には同級生の母親と比べて正直、全くの婆さんとしか映らなかったのです。また昭和30年頃の母の40才後半は、栄養その他もあり今とは全く違っておりました。つまり私にとっての母とはもう年寄りであり庇わねばならない存在に思えたわけです。そのうち戦後も時が経ち、父も一介の事務所の所長から公的な役職が増え社会的活動ばかりになった。いわば子供にとっては多少鼻高のこともあるのですが、母はそれとは逆の家庭人そのものです。父とどこかに出かけるとか公の手助けをするとか全くなく父もそれなりに不満もあったことでしょう。子ども達のご飯、身なりだけはきちんとする人でした。しかし61才になった今、母の日本食オンリーの食事が、ストレスの多い自分の身体、命を支えてくれていると思うと、母に感謝です。若い頃はそれが判らずに尊敬も敬意も表さずにいた自分が腹立たしく思われます。 | ||||
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カナダのタケへ・・・・去年のクリスマスのメールありがとう。30数年ぶりの家族揃っての写真、ありがとう、ありがとう。安心しましたよ。ありがとう。・・・連絡が遅れて申し訳ありません。久しぶりにうれしく晴れやかな日になって返事ができました。 | ||||
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今日は花まつりで選挙の日です。珍しく仕事も持ち込まずストレスのない日曜日でした。家人が甘茶を持って帰り、その間に庭木の枝落としを先週に引き続きやりました。(教訓:芽が出る前3月始めにやるべき)。県議選に出た若い人がトップ当選で、久しぶりにうれしく晴れやかな日になりました。 | ||||
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3月になると土筆の話ですが、今年はやはり暖冬で多分2月25,6日ごろに庭にニョキニョキ出始めた気がします。庭に降りて確認する元気が無かったのですが、先の日曜日の夕べのつまみに土筆が食卓に出ておりました。肥後ツバキも見事な花を咲かせていたと思いますが早散っております。 | ||||
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昨年はとうとうご覧のようにこの遺言も、7月23日の何か偉そうなコメントで打ち切りにさせて貰いました。8月末に永くこのビルにおられた神奈川建築士会が退館され、又他のテナントさん達の移動、新テナントさんの入居とかで、この遺言を書いてる暇も心の余裕も無かったためです。建築士会の退館は本当にショックでした。東京の事務所を辞めて横浜に来たことの理由の一つは士会の存在があったからです。このビルを存続せねばならない「公」の意味もあったからです。・・・でもそれも誰のせいでもない、私の力不足努力不足の結果でしょう。ただ、縁あって 横浜国立大学大学院のY−GSA(建築都市スクール)スタジオがこの春、当ビルの3階4階に開校することになって、なんとか先代所長の墓前に少しは報告できそうです。 | ||||
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この何ヶ月いや何年も、7月13日に書いた事は・・・イヤ、いつの時代も変わらないのだという意見もあると思いますが、やはり僕らの育った頃よりも確実に劣化していると思う。イヤ、また、夫れは未来のための必要な変化なのだということも、どうも言えないと思われます。 | ||||
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今年は、戸外で蝉の鳴く声を聞かなかったのですが、通勤の車の走り過ぎる窓からニイニイゼミが聞こえてきました。それも道の角角から一斉に。 | ||||
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5月のゴールデンウィークを休みました。20年ぶりです。2週間前に新しいくるまが来ました。 | ||||
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久しぶりに遺言を書いています。先週の日曜日からたけのこが生えてきています。今年はツクシも豊作で、タケノコも多分豊作になる予感がします。 | ||||
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今朝、明け方雨が降っていました。明け方の真夜中、か細い声で、ケロ・・・ケロ・・とカエルでしょう、声が聞こえます。なんとまー、風情でしょう。 | ||||
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続報ですが、つい姉歯の件としてしまいました。彼には済まない気が少しします。名前というのは、大した事でもないようでいてなかなか重要でもあるところですが、彼は単に使われ者の技術屋さんなのに事件を表象する名前になってしまっていて気の毒です。 | ||||
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今日はこれから姉歯の件で国会証人喚問があるようですが、遠く海外にいるタケとハツに簡単にいうと、姉歯の事件は不動産屋とホテルコンサルが主犯の大詐欺事件だろうということです。建築士や民間検査機関のこと色々言われていますが、マスコミもチョッと的はずれなところもあります。詳細は後日また。 | ||||
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今日は私の誕生日です。自宅のMacを立ち上げたらドキッとしました。Happy
Birthday の文字が突然現れたからです。1週間前から自覚していましたが、還暦の60才です。 | ||||
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最近ではない今年ですが、テレビの「砂の器」のテーマソングがドーリムズカムトルーが唄っていることを知りました。ドリカムは最高です。ラジオで聞いた「ラブ、ラブ、ラブ」もいい。おじいさんとしては目覚めました。だからこの夏での日本を代表するミュージシャンは当然でしょう。CDを手に入れました。 | ||||
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先日、現場の施工会社の人から「所長最近、遺言が更新してませんねー」「エー見テンノー」「女子社員が見てるんです」、この女子社員って言葉で、私は急にやる気になりましたですナ。ここでこの取り留めのないジジイの繰り言の読者?の方々にお礼を申し上げたいと思います。 | ||||
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先日ヒロシマのことを書きましたが、今はやはりそうだったかという気持ちです。 | ||||
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先日、小泉首相の応援の記事を載せたのは、私のこの遺言を読まれている方にはチョット奇異な感じがしたと思いますので、説明しますと、個人的なことです。前に私の父が昭和43年に参議院選挙に出馬したことを申しましたが、その折り自民党公認をお願いしたのが、父上の小泉純也さんです。父には他に親しい方がおられたのですが諸般の事情でお願い出来ず、小泉純也さんへお願いしたのです。ですから父は福田派から出馬しました。23才の時、安浦の埠頭のハイヤーの中で父を待っていたことが思い出されます。純一郎さんは当時イギリス留学中でした。素敵なお姉さんを遠くから見かけました。それ以来は何の接触のなく只のファンとして応援しているのです。 | ||||
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もう来月で満60才です。60年生きてくると私の廻りに様々なゴミが溜まってきています。事務所の中にも処理しきれない資料がそのまま段ボール詰められ沢山残っています。私のものも前の会社当時の資料がそのままになって段ボールに入れられています。でもほとんどは私のものではありません。頭の中にも同じようにゴミが溜まってきています。処理し解決できないゴミが、・・・。でもそれの大半は私のせいで生じたものではありません。物事を凝縮して一つのことにまとめることが出来ない、処理出来ない、あえて言えば無能で怠け者のおかげです。それも私が処理しなければならないものです。それが毎日毎日ストレスであり、垢として溜まってきているのです。これは私も気が付かなかったことです。これから年をとっていく若い人たちに忠告出来る事柄です。 | ||||
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ヒロシマの話しをしたので、沖縄のことを言います。ヒロシマ・ナガサキも問題無くひどい悲惨だ。しかし日本国民として忘れてはならないのは沖縄です。何年か前にNHKで放映されていましたが、沖縄戦のことです。日本海軍守備隊司令官は大田 実少将です。その玉砕全滅の前に大本営宛に打電された文章です。「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを・・・」。このシーンを思い出すと涙があふれます。ですから私は小さな人間ですが、沖縄の人、沖縄の何かに出来ることがあれば、内地人として無条件に尽くしたい気持ちでいます。我々内地人は、今この電文の背景にある沖縄の人々の犠牲に対して本当に応えているのだろうか?戦勝国アメリカのように傲慢と差別は無いだろうか? | ||||
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小泉首相がんばって、誰が何と言おうとあなたは立派です。身体に気をつけて頑張って! | ||||
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今日は久しぶりにコンクリート打設の型枠たたきをした後、汗だくで帰りましたが、今日はノーモアヒロシマの日です。その様子をテレビで見ましたが、一つ感じたことは全世界の子供達は必ずヒロシマヘ巡礼すべきだと言うことです。キリスト教イスラム教仏教とも巡礼しているがヒロシマへこそ全世界の人々が巡礼し、それを知るべきです。神の存在よりもすごい絶対的事実に、神を遙かに越える悲劇とそのパワーの記憶を。 | ||||
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やっと8月になってこの遺言の続きを書きます。振り返れば、どうも4,5月からパタッと書かなくなるのは毎年の傾向のようですが、自宅のiMacも故障し(フライバックトランスiMacに多い故障)更新できなかったわけです(半年以上)。 | ||||
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今日は、うれしい春の便りが届きました。お煎餅の金箱に一杯「ふきのとう」が詰まって届きました。香りが高いふわふわのふきのとうです。長野からの遅い春の香りです。寺澤さんありがとう。天ぷらにして食べます。ふきのとうは好物です、毎年山で採るのですが今年はその気力がなく食べられなかったので、ひとしお有り難く感謝感謝です。 | ||||
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最近、私の情報源はもっぱら通勤の行き帰りのラジオですが、今日は丁度、明治大の先生が話をされて、どういうテーマでの話か定かではなっかったのですが、まつけんサンバと長島監督が話題です。リーダーの資質がどうこうということです。だから、まつけんサンバは「殿様」が踊っている訳だそうです。リーダーというものは気楽に踊るようなキャラが必要ということでしょう。その話は何となく判るわけですが、私を妙に感動させたのは、宮澤賢治もそうだったという話です。私、実は中学生の時からの賢治の隠れファンであります。一人で田や畑にいるときに「ホイ、ホイ」と踊っていたようです。それを聞いてすっかり納得した私でした。 | ||||
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雪の多い年ですが、やはり自然のサイクルは多少寒くても正確です。雪が積もっていても2,3日前から土筆が芽を出しています。寒そうですが | ||||
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今年の始まりは、やはり歳時記からです。昨日、庭の梅を眺めると4〜5輪咲いていました。丁度、立春(2/4)に開花をしたのでしょう。1月を過ぎ、私の精神も少しずつ余裕が生まれてきたのかな。 | ||||
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今年も、もう年の瀬です。来年は酉年、私の年です。去年は年末に障子貼りをしましたが、今年はそんな元気もありません | ||||
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ヘッドセット |
11月から悩んでいました。実は交通違反の悪事をし、今2点しかありません。今度違反をすると3〜6ヶ月の免停がくるのです。そこへ11月からのケイタイ電話規制じゃないですか。弱りました。私はどちらかというとクルマに乗っていると、いろいろ気が付くたちで、方々へ連絡することが頭に浮かんで、ケイタイで電話連絡する訳なんです。弱りました。 | ||||
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12月5日の朝は布団から出たくなく、悶々としていました。7時にトイレに行くのに廊下の外を何の気なしに見たら、5月に直した建仁寺垣が見事に倒れていたのです。目を疑いました。実は前日に植木屋さんが入り、虫に食われて立ち枯れの松の大木を切って貰い、垣根も今年の台風と老朽化で一部を補修したばっかりなんです。気力が萎え、午前中布団のなかで悶々としていました。諦めと少しの勇気をふるって昼食後取りかかり、やっと5時に完了させました。 | ||||
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私は、自分が死ぬこと以外はあまり恐怖というものがない人間ですが、台風は恐い。 | ||||
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今日、帰宅の高速料金所エリアで焼き芋の車が一所懸命、薪をくべているところを見ました。 | ||||
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昨今のプロ野球騒動を見ていると判ってくることがあります。 | ||||
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今日の日曜は梅を収穫しました。一昨年のこの「遺言」では、6月9日になっていました。 | ||||
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少し過激なことを書きます。私も今年で59才になり年金の受給資格齢に近づいてきました。 | ||||
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五月はいつも連休に出社になるのですが今年は仕事が少ないので休暇が取れるかな?と思っていたらまた出です。大風で垣根が倒れたので、自分ちの孟宗竹で修理しました。竹を縦にさくことが難しいとは思っていましたが、やはり難しいし危なかった。青竹を裂いてから、ふと枯れた竹ではどうかと考えて試してみたら、これが大成功。まだ弾力が残っているモノであれば充分使えます。 | ||||
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今日から、八幡さまの春祭りです。遠くから練り行列のかけ声も聞こえます。街は大混雑でしょうから家の中に引きこもっていましたが、ふとタケノコが出ていないかと探ったら5本、土の中に生えていました。焼きタケノコにして食べたらおいしかった。中学生のときに生えてきた1本の孟宗竹を大事にしたかいで、これからは収穫だけの時代になりました。 | ||||
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あと、10日で完成です。初めての保育園、私の人生の中で、珍しく、今から自信がもてる施設になりそうです。 | ||||
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毎年のことですが、つくしが出ているのに今日、気がつきました。去年は2月23日ですからそんなに暖冬では無いんじゃないの! | ||||
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花に誘われて、黄色い蝶が舞っています。ずいぶん早いんじゃないの!! | ||||
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庭の白梅が咲き始めました。肥後ツバキも咲いていました。 | ||||
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夜、風呂に入りながら、二つのアイデアが浮かびました。 | ||||
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今朝は、ホトホト、生きていくのが、もうイヤになってしまいました。 | ||||
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昨年の12月27日の「薪積めば」の句は、良寛さまの句であると云えません。いろいろ調べましたが、「焚くほどは」は、確かに良寛さまの句で正しいのですが、前の句は不明です。どなたかご存じの方、私にご教示くだされば、さいわいです。 | ||||
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またまた、正月早々、のけぞってしまいました。 | ||||
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久しぶりに松島の予測をお送りします。しかしこれは全く個人的好みの予測で根拠はありません。 | ||||
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元旦 |
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私の36か7才のとき父が亡くなりました。その後、田舎の叔母が訪ねて来て、2幅の額を手渡されました。父からのものでした。自筆の書で俳句のようなものが書いてありました。私と弟にということです。まもなく叔母も亡くなり葬式やら田舎の整理やらで、その額を気になりながらもほっといて、会社に飾っときましたが、読めない、判読する素養がない、やっと読めたのが10年前で、「薪積めば誰か火をかせ冬篝」と「焚くほどは風がもてくる落ち葉かな」前句が私へで、後句が弟です。そしてその句が、良寛さまの有名な句であると判ったのは、恥ずかしい話、近年になってからです。横浜に来て父が亡くなるまで約3年半、その間、事務所継承の話は全くせず、孤立無援で無我夢中でやってきた20数年、いま、この句に込められた父の思いは、望みは、一体何だったのだろうか? | ||||
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火鉢と久野禅師のつづきになりますが、障子と火鉢の話をしたら、禅師が「それはヨー松島さん、鉄瓶はどうしてるの?」ってきたわけです。「サビちゃってどうしようもないんです」「それは一度、茶殻で煮立たせるんだよ。バッチリだから」という有り難いお教えでした。お酒の燗ができます。 | ||||
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1日で7枚に進歩したおかげで、客間に座って周りを見回すと、キレイになったが何かが足りない。はたと気がついたのは火鉢です。そして酒の澗です。早速、火鉢に炭をと、見てみると、火箸しかないじゃないですか?五徳も台十能もない。確か30年も、使っていないから当たり前です。街へ買いに行きました。五徳・火興しはあったのですが、さすがに、台十能がなくて注文しておきました。 (火鉢の件の発想は長松寺の久野禅師の影響でした) | ||||
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糊が暖かい内に。いよいよ障子貼りに突入です。紙は下から上へ段ごとに張り上げます。 | ||||
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30年いや40年ぶりに自宅の障子を8枚、連休を利用して2日がかりで張り替えました。高校生のとき以来です。 | ||||
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3年前に、創立50年を祝うことができましたが、その祝いの席で、不遜にも「親父(前代所長)出てこい!今の俺を見てみろ!」って、つい叫んでしまったのですが、・・・・ | ||||
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本年5月 3日より更新を怠り申し訳ありません。実は寄る年波には勝てず、一年前より継続していたJOBの締め切りを一ヶ月以上間違えていたことに4/20に気がつき、死にものぐるいで挽回したために更新が今になってしまいました。25才の時より会社の中では背広を着用していた習慣をかなぐり捨て、入れ歯も外し、木綿ズボンとポロシャツの四ヶ月でした。なんか、このコーナーを「独り言」から「遺言」へ変更した事がピッタリの今の私です。 | |||||
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またミョウガの話ですが、久野禅師から教わりました。今の時期のミョウガは皮が固いが、その固い皮をむき取ればいつまでも柔らかいままで食べられる。田中園長からは、天ぷらにするとよい、と教えて戴きました。 | ||||
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私の小さい頃、ミョウガを食べると、物忘れがひどくなると言われて食べさせてくれなかった思い出があります。馬鹿になるって、言われなき差別を受けていたわけです、信じられないでしょうが。お彼岸に墓参りにいったらミョウガが山ほどなっていて、お参りそっちのけで採集です。義父からよく貰って、味噌をつければ、極上の一品のつまみになってくれます。 | ||||
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今年の始めから、梅、水仙、土筆、肥後ツバキ、スミレ、馬酔木、チューリップ、タンポポ、サツキ、姫ジョーン{紫苑)、ツツジ、竹の子、しゃが・・・が、本日までの花歳時記です。 | ||||
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私は今まで、まちがっていました。何故、みんな考える事をしないのだろうか?馬鹿なのか?って、思ってました。私は今まで、まちがっていました。 | ||||
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松島の分析-2 |
またまた、考えました。この世は不条理だ。公平・平等など実はないのだ。・・っと、57才になって、断言できました、イヤ、しました。 | ||||
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![]() 花と季節の移ろい |
3週間前に梅がほころび始めました。土筆が1本芽を出しました。片岡鶴太郎さんの話をラジオで聞きました。最近は花を描くことに関心があるようです。季節の移ろいの花々に。私も同感で、絵は描けませんので、もっぱらカメラで。50才になってから、季節の変わり目の風情が特に、しみじみ感じられるようになってきました。若いときはそんなこと特に思わなかったのですが。片岡鶴太郎さんは、映画で棟方志功の役をやって絵に目覚めたようです。 | ||||
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元旦 |
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昨年、私の歴史の中で、特筆すべき事柄が多々ありました。それは、あえて言うなら、ホトケの世界で、しかも心にしみることにたずさわれたことです。それが、神奈川県足柄上郡大井町の最明寺と道元禅師の鎌倉の碑です。偶然、いや私の56才になる人生の帰結として出現した仕事といえるのでは?と思います。 | ||||
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12月19日 |
![]() 蓑虫庵 |
仕事で伊賀上野まで参りました。伊賀上野は父・母の故郷です。仕事で何度も往くことがありますが、今回、はじめて、蓑虫庵を訪れる事が出来ました。 | ||||
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![]() JR東海ツインタワーロビー |
蓑虫庵と同様、かねてから気になっていたことが、今回の大山田村への出張で実現できました。名古屋のJR東海ツインタワーです。かれこれ十年くらい前、野村総研のコンサルの一端を手伝ったのが、このプロジェクトでした。私は建築部門の担当です。 | ||||
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落ち葉 |
この一週間で急に落ち葉が増えました。建築をやっていると落ち葉はいつも嫌われモノです。でも、私は落葉樹が好きです。風情が違うのです。桜もケヤキ、椎、くぬぎ、・・・。落ち葉はいろいろ悪さをするようですが、私は好きです。溝や排水口を詰まらせるのだけ、まずいですが、後はそのままにしておいたらどうでしょう。 | ||||
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34才で管理職になってから思うことが色々ありますが、一番は言葉でのコミュニケーションがとれなくなってきていることです。特に話の中に漢字の熟語を入れると半分は理解されていない。日本語の中でも漢字は特に大事だと思います。表意文字の漢字はそのもの以上に我々に深いイメージを与えてくれます。今までの国語教育は完全に間違っています。文科省の言っている「生きる力」の一つの意味はコミュニケーション能力の事でもあります。最近、作家の井上ひさしさんも日本人が興味を持ちだしたことを三つ揚げています。 「ことば」、「歴史」、「健康」です。これは不景気になり、日本が弱くなった反省からが原因でしょうが。いずれにしても漢字の力の持つ意味をもっと考えていこうと思っています。 | ||||
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拉致のご家族のニュース報道を見るにつけ、今は失われつつある良き日本人のすがた。つつましく品位があり、毅然としてしかも優しい、日本の庶民が確かに、そこにいると思います | ||||
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また、ソングです。戦後最大と言われた台風も我が家の被害は全くなく、おかしいほどです。テレビで気に入ったCFが一ヶ月前から気になっていましたが、余裕のせいでしょう、色々調べて、NTTDATAのテレビCFだとわかり、インターネットで検索して=>「変化」「未来」編 作詞/作曲/唄:おおたか 静流(しずる) と判りました。「やーさら、やさら、やさらー」っていう唄です。いいですよ。(聞くにはRealPlayer必要)ダウンロードはhttp://www.nttdata.co.jp/cm/です。 | ||||
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日朝会談、拉致問題でわかったこと。それは、いつの頃からか、日本人のかなりの多くの人々が、真面目で真剣な生き方をしなくなったということです。 | ||||
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9月14日 |
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おととい、生まれて初めて600Kmを一日で走破しました。更埴市まで仕事で日帰りです。12万Km走行の中古車で。関越-上越-長野道-中央道。更埴市は更科と埴生の二つの街が合併してできたようです。更科ときたら芭蕉の更科紀行です。中学の国語の時間の初っぱな毎日、10枚程度の手帳の大きさの冊子を空で云えるほど毎日毎日朗読です。奥の細道と一緒に更科紀行、笈の小文、野ざらし紀行が集録されていました。「更科の里、姥捨山の月見んこと、しきりにすすむる秋風の心に吹きさわぎて」というわけです。奥の細道は日本の男性文学では最高傑作でしょう。工場の方に姨捨山はどれですか?と訊ねると正に正面に見える山でした。姨捨山ならあんな山かと思って見ていたわけなんです。 | ||||
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日曜日で、お酒を買うついでに、ふと思いついてカルピスを買いました。30年ぶりの初恋の味です。20才まで毎日のように飲んでいた記憶が甦ります。薄くして飲むのが好きです。瓶を包む包装紙とともに甦ります。あのカルピスのネットリとした中身と瓶が。 | ||||
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冷房のせいで自律神経失調症、今日は早く帰宅して50度近い風呂に肩まで入って治療。出てきたところで、送り火です。結婚以来私がやる3度目の送り火。いつも不思議に思うのは丁度今頃、秋の虫がまだ弱々しく鳴く声だけが聞こえるシンとした真夏の夜、ロックを飲みながら線香だけは毎年あげるこの日のこの瞬間、お盆と敗戦の日です。盆提灯から発する透明のひかり、50才から、この夏のこの瞬間を感じます、魂のこと、その存在と全てのことを。お盆と夏と敗戦の、この組み合わせは妙です、不思議です........ | ||||
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33年前の参議院選挙の続きの話をします。多分、6/20位でしょうか、四国4県を回り広島を夜、立ち、島根へ人形峠目指して選挙カーを走らせていました。そのときはもう声がつぶれてヒリヒリ痛みだしていました。村のよろずやで三ツ矢サイダーを買い、腫れたのどを冷やしていたそのときです、突然、小さな光、光が展開しました。すぐ蛍の光だと気がつきましたが、地平線まで無数の蛍が乱舞し、これから上る峠の方向にも、そして走る車の窓からも蛍が飛び込んできます。今でもその光景が信じられない数とともに蘇ってきます。2〜3時間はそれでした。33年前の選挙と言えばそれです。(スーパー筆無精の私としては、なんということでしょうか、1日で3つの独り言を掲載するなんて) | ||||
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日本はあと十年足らずで世界で50番目くらいの国になる。 | ||||
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山川海のない平野部の街では非行が多い。(この法則は私の全くの独断ですが、やっぱり豊かな自然に触れ合うことは大切なんじゃないかナー。)明日は七夕、33年前、父の参議院選挙の投票日でした。23才の夏、関西、中国、四国、九州、そして北海道の選挙活動から帰ってきた日です。感慨深い日です。 | ||||
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6月29日にETCカードがやっと届き、案内書を見たら、早く装着して申請しないと、1万円の割引が受けられないとあって、すぐ購入、しめて3万5千円也。7月3日より稼働。安全・便利・省力化そしてチョットの優越感。毎日高速を利用している方にはおすすめです。 | ||||
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今日は、梅雨の間の曇り日です。松澤嬢から帰ってきた「黄昏のビギン」を聞きながら、湿気の多い空気の中、客間で目一杯拡げて、図面のチェックです。だんだんCDをでかく聞きながら、疲れて、揺り椅子の上で、薄空色の夕日を見ています。これが私の数少ない至福の時間なのでしょう。 | ||||
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今年は大豊作です。20年前に植えた梅も大粒の実がなりました。 | ||||
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街で今年初めての蝉の鳴き声を耳にしました。山里では、まだ聞きません。 | ||||
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阿呆ほど経費がかかる | ||||
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何故、大型映像はテレビと比べて感動が大きいのか? | ||||
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5月27日の夜、会社の近所で夜食、雨が降ってきました。雨の中、駐車違反取締のレッカーがやってきました。ごくろうさまです。・・・・・ | ||||
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土曜日の朝9:45から外部の方と打合せです。ゆっくりノンビリ、観光のマイカーが前を走っています。高速も事故渋滞が表示されています。このままだと遅刻が必至なので、無理な追い越しとスピードを出します。幸せな家族している横をすり抜けます。・・・・ちょっと待てよ!何でこのシーンで、私が危険を冒す必要があるんだろう。考えてみると変です。民主主義(平等)という名のもとの不平等ではないか、・・・・またまた、考えるとこの不平等は少ないけれど結構多い。私の生きている建設業もそうです。命の危険と隣り合わせです。いや命を懸けてせねばならないときもあります。そして、それに対するフィーは正当ではありません。先頃起こった中国審陽の事件(あまりに情けなくて新聞もニュースも見たくないのがホントーの気持ちです)、これが今の日本の、日本人の精神のありようの大勢でしょう。極論すれば、今の外務省の官僚達のフィーは半分にしてから出直しでしょう。世の中の社長さん達は、いま人事考査、給与評価をどうしたらいいか悩んでいます。その評価のための莫大な書類、それにかかる経費の多さ煩雑さ、まさに噴飯物です。ようは簡単です。よく部下を観察し、接触し、志が高いかそうでないか見極めればよいのです。それで給料を半分にするか、2倍3倍にするか決めればよいのです。 | ||||
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去年からズウーット、ズウーット探していた曲があります。日曜洋画劇場のCMソング(ネスカフェゴールドブレンド)の「たそがれの街ナントカ・・・」って曲です。全部の歌詞は流れないのですが、えらく気に入りました。いろいろ情報を集めると、歌手はどうも、「ちあきなおみ」らしいのです。早速CD屋に飛び、「ちあきなおみ」のCDを見たのですがどうも判りません。しょうがないので、エィーって、CDを計6枚ほど買って帰って良く聞き見たのですが、ナイ・ナイ。諦めて、そのCMだけ録画した、音痴の私としては涙ぐましい努力を傾けたわけです(一万五千円ほどは投資しました)。 | ||||
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今日は、神奈川県の私学事務長会の30周年記念講演会にでました。教育評論家の尾木直樹という方です。なかなか面白く、学校五日制から引きこもり非行等まで話がでて「子どもの危機をどう見るか」という演題でしたが、一時間半が瞬く間に経ってしまいました。そこでショックだったことは、もはや「家族は崩壊した」という分析です。家族の食事を例にされ、同じ場所、同じ時間に揃っていても各々好き勝手なメニューで食事していると言うわけです。ウーンー・・・うちもその通りです。そうなると、いろいろ未来のかたちが見えてきます。肯定すれば、ですが。 | ||||
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土曜日、珍しく会社を早引けして鎌倉の仲間と飲み会です。大船のアンダンスーという沖縄料理屋です。46度のクース(50度ないのでちょっと不満)とラフティを4人で痛飲して、後2軒はしごです。 | ||||
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今日もまた、うれしいことがありました。相洋の理事長 久野先生から「道元禅師顕彰碑」の除幕法要に招待したい旨の電話を戴きました。今年は、曹洞宗の開祖 道元禅師の750遠忌にあたるのを機に、鎌倉に碑を建てたいというご希望があり、大恩ある久野先生から「どっかいい土地ネェか?」ということで、私も一肌脱ぎ、八幡様近くにいい土地を見付けることが出来ました。そのことへのお礼ではないかと思います。観光にも一役買って、新名所になるのではと、うれしい限りです。 | ||||
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今年の2月22日の帰宅途中のこと・・・・・ | ||||
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2001年 平成13年 |
正月早々、我が家に白鷺が舞い降りてくれました。吉兆でしょうか、はたまた、お迎えなのでしょうか? |
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平成12年 12月2日 |
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最近、4輪駆動車(4WD)4駆ってやつですな、多くなりましたな。若者の乗っている5割いや9割はそれでしょう。かく言う私も昔はPATROLってー、幌付きに乗っていやした。 | ||||
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(その2) |
最近のクルマ事情(その2)におつきあい下さい。 | ||||
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最近、いろんな、シーン、場所、ジョブで感じることがあります。 | ||||
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